営(まど)える魄(はく)を載(やす)んじ

(老子道徳経 上編道経10)
営(まど)える魄(はく)を載(やす)んじ、一を抱いて能(よ)く離るること無からんか。
気を専(もっぱ)らにし柔を致して、能く嬰児(えいじ)ならんか。
玄覧を滌除(てきじょ)して、能く疵(し)無からんか。
民を愛し国を治めて、能く以て知らるること無からんか。
天門開闔(かいこう)して、能く雌(し)たらんか。
明白四達して、能く以て為すこと無からんか。
之を生じ之を畜(やしな)い、生ずるも而(しか)も有とせず、為すも而も恃(たの)まず。
長たるも而も宰たらず。
是れを玄徳(げんとく)と謂(い)う。

【大体の意味内容】
迷える心身を安らかに整え、唯一絶対の真理を抱いてその道から離れてはならない。

言葉や理屈によらず、気の満ち引きで本質的コミュニケーションをとり、柔よく剛を制する境地に至る、
それは究極的には、誕生した瞬間の嬰児(あかご)のような存在ではないか。
もっとも無力なようでいて、実は最善の「道」を体現しているのだ。

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それは譬(たと)えて言えば、神聖な鏡を聖水で漱(すす)いで、疵(きず)ひとつなく森羅万象が映し出されるようなものだ。
(嬰児(あかご)の生態(いきざま)によって我々の造りだす世界が採点評価されてしまうのである) 

民を愛し国を治め得たとしても、無名のままであるべきではないか。
すべての生きとし生けるものは例外なく雌(めす)や女性から誕生せしめられる、
つまり生命の生成発展は女性原理によって成り立っているのだ。
この女性原理を「天門」という。

この偉大さの前では、いかに名君だとしても国王の名など塵(ちり)ほどの値打ちもない。

こうした「天門」による生命誕生の光が天・地・人・神の四才(しさい)すべてを照らすならば、
もはやわれら矮小(わいしょう)なる者に為すべきことはつゆほどもない。

こうしたことをよくわきまえ、よく悟り、誕生したものの成長に奉仕すること。

何かを生み出したとしても私物化するのではなく、

何かを成し遂げてもそのことを恃(たの)んで無駄に誇ることなどしない。

リーダーとなっても、思いあがった独裁者とはならないこと。

このように、日の当たるところで活躍せずとも、
日の当たらない陰から、何の見返りや報酬も期待せずに人々を支え、支援するのが本当の意味での
「お陰様(かげさま)」なのであり、

そうした志を「玄徳(げんとく)」というのである。

【お話】
「数十年に一度の大雨」「史上最大規模の災害」といった言葉が毎年、いや数カ月ごとに叫ばれています。
たしかに三日ほどで1000ミリというのは尋常(じんじょう)ではありません。
東京で年間降水量が1600ミリほどなのでそれに近い、
まさに空からの津波というべき現象が起きています。

亡くなられた方々には心よりご冥福(めいふく)をお祈り申し上げます。

こうした災害の時には本当に多くの人々が、特に名前を出されて顕彰(けんしょう)されることもなく、
身(み)を粉(こ)にして黙々と救出活動や支援活動に奉仕してらっしゃいます。

タイの洞窟に閉じ込められた十三人の少年たちを救出しようとしているダイバーたちのひとりが死亡するという、いたましい情報もありました。

どのようなところでも、救出活動をするということはその人たちにとっても命がけの仕事なのだということを、はっきり示されたと思います。

多くの方々の「玄徳(げんとく)」に、頭(こうべ)を垂(た)れるしかありません。

岡山県の災害が起きている地域に、友人家族が住んでおり、いまだに安否の確認が取れていません。
救出する側、される側、一人でも多くの人々の生還を、お祈り申し上げます。