プロフィール

1964(昭和39)年
 大阪に生まれる。まもなく千葉県に移住。
 小中学校通じて成績は常に学年最下位。全くとりえのない日陰者でしたが、小学校高学年から野球好きになり、中学で陸上競技や空手、柔道、水泳など、スポーツに打ち込むようになりました。
 各校代表選手による「東葛駅伝大会」が終わって中3の11月から体力任せの受験勉強を開始。偏差値20アップしましたが、中堅の県立高校へ進学。このころから読書の面白さに気づき始める。
 高校2年時に校内暴力事件が起こり、その対処後に校長先生が服毒自殺するという展開となって全国に報道され、教育について考え始めました。
 問題を起こした生徒たちは、かえって私たちよりもバイタリティのある若者には違いない。その生命力が彼らにとっても誰にとっても幸福な形で躍動すれば…。そのために、教育に携わる者がすべきこと、できることは何か。ともかくも、初等教育に大きなカギがあると考え、小学校の先生になろうと思いました。かつての自分が、最も忌避していた存在を志望することになったのです。
1984(昭和59)年
 教育者小原圀芳による『全人教育論』を提唱していた玉川大学文学部教育学科に進学。そこで生涯の恩師上原輝男教授に出会い、『心意伝承』研究のとりこになる。
 体育会ワンダーフォーゲル部のメンバーとして登山にも明け暮れる。主将も務めさせていただきました。丹沢山系でトレーニングを積み、八ヶ岳や北アルプス、南アルプス、北海道大雪山系など多くの名峰に出会う。
 学究の生涯を送りたいと志を立て、玉川大学大学院文学研究科教育学専攻修士課程にも進学し、修士号取得。その後大阪大学人間科学部の研究生として1年間研究。
1991(平成3)年
 埼玉県狭山市の学習塾(中央学院ゼミナール)に就職。小中学生とともに学習し始めました。
1993(平成5)年
 共著『いのちの教育を再び~基層教育学試論集~』(明治図書)を出版。
 『心意伝承』研究は学界では異端の学としていまだに日の目を見ませんが、恩師とともに研鑽(けんさん)を積むも、この間、その恩師上原輝男博士が急逝し、学習塾の仕事が生活の中心になりました。
1997(平成9)年
 城南予備校に就職。東京は池袋・立川・吉祥寺・町田・自由が丘、神奈川は横浜・藤沢で中・高・高卒生への指導。国語・現代文中心。
 個別指導コースも開設し、藤沢校の教室長に。東京大学に進学する生徒もいれば、私立中学でいじめにあい、不登校となったうえで学校から追放されてしまう生徒への対応や、リストカットを続ける生徒のケアにもあたるなど様々な出会いがありました。いわゆる「モンスターぺアレンツ」とも戦いましたっけ。
2006(平成18)年
 恩師上原輝男博士の遺稿論文集『曽我の雨・牛若の衣裳―心意伝承の残像―』(暮らしの手帖社)編集出版。解説等執筆。
 これが上田篤先生(『五重塔はなぜ倒れないか』など多数の著作で高名。中2の国語教科書に載っています)の目に留まり、交流が始まりました。
2007(平成19)年
 上田篤先生の推薦で、老舗雑誌『國文學』に連載開始。『心意伝承―遊働世界に生きるー』を約2年間にわたって連載させていただきました。とても楽しい経験でした。
 当ホームページにPDFファイルでアップしています。コチラをご参照ください。
 中学生・高校生時代の息子と年に2回、登山をしていました。八ヶ岳と北アルプス中心。槍ヶ岳・奥穂高岳・ジャンダルム・劔岳などの荘厳な姿が胸に焼き付いています。
2011(平成23)年
 学凛社ファインズグループに就職。小中学生への指導。東京は国分寺・自由が丘、神奈川は柿生・鷺沼・武蔵小杉。武蔵小杉スクール校長になる際に全国的にも珍しい「集団型個別指導」コースを開設し、授業のICT化もいち早く推進、小中学生に総合的に指導しはじめます。このスタイルは瞬く間に全国に流行しました。
2017(平成29)年3月。
 埼玉県川口市東本郷にて『学修塾ダンデリオン』開校。
 人間遊働(じんかんゆうどう)の原点にかえり、「すべてを糧にして生きる」「努力の天才」を育てたいと考えています。
2018(平成30)年4月。
 著書『心意伝承―遊働世界に生きる―』出版。