まぶるるということ

校舎だより『FlyingSeeds』1月号より
 中学生時代の私はスポーツや武道ばかりに明け暮れたいわゆる「脳筋」男子で、当然のごとく成績は常に学年最下位争いを華麗に演じていました。学校内実施の模試で順位は明瞭。でもちょうど今頃の時期に、数学の「三平方の定理」を発見したピタゴラスのエピソードを知り、「なんて美しいんだ!」と心底感動しました。これでちょっと覚醒したかもしれません。しかしそれにしても受験まであまりにも時間がない。やっと「高校に行きたい」という気にはなれたのだけれど…
 読書もほとんどなしでしたがマンガの影響で、吉川英治著『宮本武蔵』だけは愛読しました。格好つけで宮本武蔵著『五輪の書』も机上に飾ってました。もちろん読んでもわからない。けど、「まぶるるということ」の章には、心中の茫々としたものが掻き立てられたのです。メラメラと。
 「まぶるるとは、敵我手近くなつて、互いに強くはりあひて、はかゆかざると見れば、其の儘敵とひとつにまぶれあひて、まぶれあひたる其のうちに利を以って勝つこと肝要なり。」
 乱戦になったときは、へたに体制を立て直そうとかせず、そのままぐちゃぐちゃになってしまえ、「ゾーンに入った勢いで勝て」ということです。疲れたら、とことん疲れきってしまえ。苦しければ、徹底的に苦しみぬけ。乱れれば、きちがいになれ。いわゆる「スマート」な対応とはほど遠い。剣聖と言われる武蔵ですが、古今東西いろんな名人たちの発言に、こんな不細工な指導はありません。ですが、私にとっては何よりも至言に思えました。体力だけは自信がありました。間に合うかどうかは関係ない、最後までまぶれにまぶれ切ってしまおうと、寝るとき以外は風呂でも食事でもトイレでもずっとがむしゃらに勉強しました。どこか冷徹にそんな自分を見下ろしながら。
 『となりのトトロ』等の名作アニメを量産した宮崎駿氏がNHKの『プロフェッショナル』に取り上げられていました。髪を搔きむしり、貧乏ゆすりし、たばこをモクモクとくゆらせながら、苛々と鉛筆走らせてはぐしゃぐしゃ捨てまくる。鬼気迫る姿はまさしく武蔵のいう「まぶるる」を体現するものでした。いわく、
 「他のことは何もできないくらい狂ってしまうんだ。そうしないと、脳ミソの蓋が開かない」
 脳ミソの蓋が開くことで、何かが噴出するし、何かが注ぎ込んでくる。結果生まれるものは、もはや自分の力ではコントロールできないものかもしれない。でもやるしかない。
 受験は、自分の力をMAXに引き出そうとしてみる、いいチャンスなのだろうと思います。