(中庸1)
偏らざるをこれ中と謂い、易(か)わらざるをこれ庸と謂う。
中は天下の正道にして、庸は天下の定理なり。
天の命ずるをこれ性と謂い、性に率(したが)うをこれ道と謂い、道を修むるをこれ教えと謂う。
喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。
発して皆節に中(あた)る、これを和と謂う。
中は天下の大本なり。
和は天下の達道なり。
中和を致して、天地位し、万物育す。
【大体の意味内容】
いずれにも偏ることがないのを「中」といい、萬世にわたって易(か)わらないことを「庸」という。
一方に偏らずにバランスを保つ「中」は、天下の正しい道の徳である。
永久不変なる「庸」は、天下における定めというべき根本原理である。
宇宙の意思の顕れである天に命じられ、我々に備わっているものを「性」、
すなわち生まれつきという。
賢しらな人為によって天性を歪めることなく、素直に自分の持ち前に従って生きるのを、「道」という。
迷いの多い我々が見失いがちな道の徳(はたらき)を修めるよう、心眼を啓(ひら)かせることが、「教え」というものである。
感情に、「喜び」とか「怒り」とか「哀しみ」とか「楽しみ」といった区別が生じていない未分化な原態が、「中」である。
「喜」「怒」「哀」「楽」に分化してもそれぞれが行きすぎたり暴走したりせずに節度を保つことを、「和」という。
未分化な混沌(カオス)である「中」は森羅万象の根本、すなわち天下の大本である。
森羅万象を束ねバランスを維持する「和」は、無秩序な物事を小宇宙(ミクロコスモス)に到達させる道の作用である。
一見真逆な状況に見える「中」・「和」を一致させることで、「天」と「地」の位相すなわち相互に作用しあう在り方も定まる。
天の光や水が大地に生きる生命のエネルギーとなり、地の発する水蒸気や大気が天を支える。
こうして成り立つ万物化育の大循環を、「中和」という。
【お話】
「中庸」というと、何か偏った立場・態度をとらないということから、「どっちつかず」「中途半端」とも同じ意味の言葉として捉えられがちでしたが、かなり深い意味があることがわかりました。
赤ちゃんが泣いたり笑ったりするのは五感を通じての快不快によるもので、「喜怒哀楽」の感情によるものではないとされています。確かに赤ちゃんに怒りや悲しみの感情が湧いているとは考えにくい。
とすると赤ん坊の様なメンタルが「中」であると考えておけばわかりやすいでしょう。
だんだん年を経るに従って、自我が芽生え感情も細やかに分化し始めてゆく。
その際、怒りに任せて破壊的な行動をとってしまったり、喜びのあまりハメを外し過ぎたり、悲しみに耐えかねて破滅的な振る舞いに陥ったりしてしまうと、それは「庸」ではない、ということになります。
嬰児(えいじ)のような未分化で原初的な情が活力を発揮する「中」と、
細やかに多様に働く感情を、決して押し殺すのではなく、存分に喜んだり、激しく怒ったり、哀しみに身もだえしたり、楽しさに舞い上がったりしつつも、そのいずれかによって破壊破滅には至らない「庸」とを
渾然(こんぜん)一体(いったい)に実現することが
「中庸」なのだと理解しました。