一身軽舟と為る。落日西山の際。

   西山                常建

一身軽舟と為る。落日西山の際。
常に去帆の影に隨ひ、遠く長天の勢(いきおい)に接す。
物象餘淸(よせい)に歸(き)し、林巒(りんらん)夕麗(せきれい)を分(わか)つ。
亭亭として碧流(へきりゅう)暗く、日入って孤霞(こか)繼ぐ。
洲渚(しゅうしょ)遠く陰映し、湖雲尚(な)ほ明霽(めいせい)。
林昏(くら)くして楚色(そしょく)來(きた)り、岸遠くして荊門(けいもん)閉づ。
夜に至りて轉(うたた)淸廻(せいけい)、蕭蕭(しょうしょう)として北風厲(はげ)し。
沙邊(しゃへん)雁鷺(がんろ)泊し、宿處蒹葭(けんか)蔽(おお)ふ。
圓月(えんげつ)前浦(ぜんほ)に逗し、孤琴又搖曳(ようえい)す。
冷然として夜遂に深く、白露人の袂(たもと)を洽(うるお)す。

【大体(だいたい)の意味(いみ)内容(ないよう)】。
この身体が軽い舟と為ったような一体感で、水面を漂い遊んでいる。
ふと西の方を見上げると、いつの間にか夕日が山の際に落ちかかっている。
我が舟より前のほうに、帆を掲げて去る船がある。
その帆影に従って進みつつ、はるかな空を眺めれば、
水と天とが接して長大な天の果てしなさに心が開放されてゆく。
やがて日は沈んだが、山川草木(さんせんそうもく)すべてのものが、残照にてらされ、
一段と清く鮮やかに見える。
いずれの林も、いずれの嶺も、夕焼けの光を分けあって美しくたたずんでいる。
天の高みから亭々と流れてくる碧水も闇に染まり、
沈み切った日の光を継いだ赤焼け雲が棚引いている。
遠くの洲(しま)や渚(なぎさ)は暗がりに呑み込まれてゆくが、
湖上の雲は夕焼けの光でまだ鮮やかに映えている。
やがて、夕麗を分けて美しかった林巒(りんらん)も、一面に暮色が蒼然として襲い来る。
川岸も遠く隠れて、名高い荊門山も闇に鎖されてしまった。
夜になると、空は大宇宙となり星巡りの舞台となる。
北風は蕭蕭として物寂しく吹きわたり、
我が身が虚空にさらされているのを実感する。
私が沙洲の邊(あたり)に舟宿りしてあれば、
雁や鷺などもそのあたりに泊まっている。
圓(まる)い月が前の浦上に逗(とど)まり、
しばらくそこに安ろうているように見えて心地よい。
私は興に乗じて独(ひと)り孤琴を弾じて楽しむと、
その聲が揺曳(ようえい)として長く響き、余韻を味わえる。
宇宙の音楽に浸りいつしか夜は更けて、
冷然と身が冷え切っているのに気が付いた。
袂(たもと)を見れば、いつの間にか白露に濡れてしまっていることであった。

【お話】
山の上とか、大きな田園地帯とか、街灯の無い真っ暗な広い空間に立つ機会があったら、ぜひ夜の星空を見てください。地面に寝っ転がって大の字になってみるとなおいいです。梅干しのような大きな星がうじゃうじゃと瞬(またた)いています。赤いのや青いのや、いろんな色の星がちりばめられています。初めてみる人は「気持ち悪い!」と悲鳴を上げます。
まるで宇宙空間の中を一人で漂っているような、怖いような、気持ちよいような、どうしようもない実感に浸(ひた)れます。
水のはった田園地帯の真ん中を歩いているときに、急に雨に降られたことがありました。車などの騒音がなく、傘もないので初めて知りました。水を打つ雨音の凄さを。
何千万だか、何千億だかわからない雨粒たちがひっきりなしに水を打つ大交響曲!
全身ずぶぬれになるのもかまわず、しばらくそうして地球交響楽に浸りきったことがありました。えもいわれぬ幸福感に包まれました。