窅然(ようぜん)として其の天下を喪(わす)れたり

(逍遥遊篇第一―4)
藐(とお)き姑射(こや)の山に神人ありて居る、
肌膚(きふ)は冰雪(ぎょうせつ)のごとく淖約(しゃくやく)たること処子の若し。
五穀を食らわず風を吸い露を飲み、
雲気に乗じ飛龍に御して、四海の外に遊ぶ。
其の神(しん)凝(こ)れば、物をして疵癘(そこな)わざらしめ
年穀をして熟せしむ。

堯は天下の民を治め、海内の政を平(おさ)めてより、
往きて四子を藐(とお)き姑射(こや)の山に見、汾水(ふんすい)の陽(きた)にて
窅然(ようぜん)として其の天下を喪(わす)れたり。

【大体の意味内容】
遥か彼方の姑射(こや)の山には神人が住んでいる。
肌は氷雪のように白く、姿の美しさは乙女の様ですらある。
米などの穀物は食べず、風を吸っては露を飲む。
沸き起こる雲気に乗り、天(あま)翔(が)ける龍を操り、
この世の外の世界を遊動している。
雲海のように広やかな彼の精神が集中凝縮すると、
すべてのものが生成発展するエネルギーとなる。
また稔魂(としだま)となって種苗(しゅびょう)に宿り、その年の作物まで豊穣(ほうじょう)に実るという。

中国史上最高の名君と謳(うた)われた堯(ぎょう)は、天下万民を治め、国内の政治を平安にした。
偉業を成して後、遥か彼方の姑射(こや)の山に住むという四神人を慕い覓(もと)めて行った。
そうして彼らにまみえる願いが叶うと、汾水(ふんすい)の北の都に帰ってきた。
が、既に堯(ぎょう)の魂は悠久の世界に遊ぶ境地に至り、自分が治める俗界を忘れてしまっていた。

【お話】
大学生の時に、雲海を見たくて登山をするようになりました。

遠くの山や富士山などが、雲でできた大海原に点々と浮かぶ島のように見える光景、もうすぐ宇宙が見えてきそうな真っ青な天蓋は怖いくらいです。

沸き起こってくる雲がスクリーンとなって、虹の円が映り、その真ん中に自分の影が見えるという「ブロッケン現象」も何度か見ることができました。

そのような高山は、動植物たちにとっては生存が困難な過酷な環境でもあるのですが、
そうした中でも小さく可憐に咲く花は様々にあって、
カメラの接写機能を使って拡大撮影してみると、その美しさには息を呑みます。
こうしてたまたまこんなところまで登ってくる人がいなければ存在すら知られない者たちが、
生きづらい環境の中で精いっぱい命を輝かせていることにも感動します。

「何か偉大なもの(サムシンググレート)」は、こういうところで気付かせてもらえるのだなと感じました。