生命燃焼としての『怒り』

 ふつうはタブー視される話題かと思いますがあえて正面から取り上げます。

 この夏期講習の合間の休校期間に、4回目の心筋梗塞(こうそく)で入院中の父が危篤(きとく)に陥(おちい)りました。

朝から呼吸が不安定とのことで病院から呼び出しを受けたのですが、妹と二人で病院についたときにはいったん危機的状況は脱して意識も取り戻していました。
とはいえ、すでに満身(まんしん)創痍(そうい)の父は、いつ死んでもおかしくない、いや、もうとっくに死んでなきゃおかしい体をしぶとく生き延ばしています。

 59歳までは風邪一つひかなかったのにそこから大病の連続。脳梗塞(こうそく)を2回。間脳は完全に消滅しました。前述のとおり心筋梗塞4回。この間には胃がんで胃袋の全摘出もあり、また鼻の皮膚がんも。
まるで病気のデパートになりながら、とくに言語の障害もなく、「脳なし」にはなったから物覚えが悪くなった程度で、今回もこちらの声はちゃんと聞こえていて、普通に会話もできました。

心底あきれてしまう生命力。

 もちろんこうしている間にもいつ呼び出しが来るかわからないわけですが、人間の身体とは本当にすごいものだと思います。

 父は育ち盛りの小学生低学年の時に学童疎開で栄養失調を経験し、その後も若い時分はまともに食えない苦しい生活に耐えてきたそうです。

 それでも80越えて致命傷だらけの生命を、何とか燃焼させ続けているこのバイタリティはいったい何なのだろう。

 たまたまテレビで特攻隊の特集番組を見ました。
 過酷(かこく)な状況を奇跡的に生き延びた元隊員や、かかわった人が出演されていて、90歳を超えているとは思えないほど強い調子で当時のことを語りだしていました。

 それを見ながら思いました。

 -この人たちのバイタリティは、「怒り」だ と。

 それも、子どもたちや家族への強い愛をたぎらせたうえで輝く「怒り」なのだ、と。

 そのような、愛でギラついた怒りが、この日本列島から消滅しつつあるのだなと思いました。

 父が死んだらそうした炎の一つが消えることにもなる。
 この怒り、私は引き継げるだろうか。自問自答し始めています。

 「キューバ危機(1962年)」にも比すべき事態を装った、北朝鮮とアメリカとの応酬(もしかしたら壮大な茶番劇)を目の当たりにして、
 
 私たちは「怒り」を取り戻せるでしょうか。