(老子道徳経 上編道経29)
将(まさ)に天下を取らんと欲して之を為すは、吾其の得ざるを見るのみ。
天下は神器なり。為すべからず、執(と)るべからず。
為す者は之を敗り、執る者は之を失う。
凡そ物、或いは行き或いは随(したが)い、
或いは歔(きょ)し或いは吹き、
或いは強く或いは羸(よわ)く、
或いは培(やしな)い或いは隳(こぼ)つ。
是を以て聖人は、甚を去り、奢(しゃ)を去り、泰(たい)を去る。
【大体の意味内容】
世界を征服しようとして陰謀を張り巡らせようと、そのようなことは本当には達成できないものだ。
天下は神聖な器である。
人の所為(しわざ)でどうにかなるものではなく、思いのままに操れるものでもない。
人為的に支配しようとすれば、深刻な害を招き、
恣(ほしいまま)に搾取(さくしゅ)しようとすればかえって失ってしまう。
なべて物事は、先行するものがあればその後に付き随ってくるものもある。
たおやかなそよ風のような流れもあれば、吹きすさぶ嵐のような動乱もある。
剛強なるものもあれば柔弱なものもある。
あるものは生成発展し、あるものは衰弱消滅する。
(こうした遊働自体が天下のバランスを為すのであって、欲得づくで世界を支配しようなどとは浅はかで、罪深い愚行である。)
それゆえ聖人は、ゼロか百かで対処しようとする極端な思考法を用いない。
遊働バランスを崩すような、過度の消費はしない。
己を神格化するような傲慢(ごうまん)さを持たない。
【お話】
『ちびまる子ちゃん』の作者さくらももこさんが今年2018年8月15日に亡くなられ、大騒ぎになってようやく落ち着いてきたところでしょうか。私はそれほど熱心に見ていたわけではありませんが、名曲「おどるポンポコリン」の、そのタイトルは衝撃でした。「おどる」と「ポンポコリン」。文法的には結びつくはずがない、意味的にも無関係なこの二つの語が、だれも異論をはさめないほどぴったりとおさまっていて、しかもとんでもないエネルギーを発散させてきました。多分、永久に滅びることのない歌曲として伝わり続けるでしょう。決して天才ぶらないけれど、本当の天才だったのだと思われます。
世界には、自分(たち)の利益のためには手段を選ばず、他者を利用したり陥(おとしい)れたり、搾取(さくしゅ)したりする人々が後を絶ちません。小さな規模のものからグローバルな規模まで、次々と現れては、途中で消えてゆきます。その繰り返しです。が、その繰り返しは、止(や)む気配がありません。
こうした罠(わな)のようなものから自由であるためには、さまざまな情報を冷静に受け止めたり、多くを知ったり、読書を通じて多元的な思考力を鍛えてゆくことも大事です。
ですが、危ういものに対して鋭く対抗する術(すべ)を身に着けるだけでなく、「おどるポンポコリン」のような、柔らかくすべてのものを受け容(い)れ包み込んでゆく、奥深い陽気さこそが、案外(あんがい)、無敵なのかもしれません。