天地は仁ならず

(老子道徳経 上編道経5 天地は仁ならず)
天地は仁ならず、万物を以(も)って芻狗(すうく)と為(な)す。
聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい)を以って芻狗(すうく)と為す。
天と地の間は、其れ猶(な)お橐籥(たくやく)のごときか。
虚(むな)しくして屈(つ)きず、動きて愈々(いよいよ)出(い)ず。
多言は数々(しばしば)窮(きゅう)す、盅(ちゅう)を守るに如(し)かず。

【大体の意味内容】
天地創造の働き自体は、ことさらに「仁愛」を表すものではない。
生み出された万物は、祭礼の場で神前に供えられるわら細工の犬のようなものだ。
(それぞれに与えられた神聖な役目を果たし、役目を終えれば焚き上げられて、次の新たなわら細工に役目を譲る。こうした生と死の循環が、大宇宙の摂理なのである。その摂理の中で、産む者は生まれる者を慈しみ、生まれた者は長じて伴侶を求め、愛すべきものを生んでゆく。わざわざ「仁愛」を唱えなくとも宇宙自然の摂理に素直に従うことが、本質的な仁愛・道徳の体現となるのである。)

聖人の政治も、ことさら仁愛をひけらかすことはなく、百姓、すなわちあらゆる生業・職業に生きる人々を、あえてわら細工の犬のようなものとする。
(動植物の世界で食ったり食われたりの循環が生態系のバランスをとっているように、社会においても様々な生き死にの営みや順境逆境の相克があって、バランスが保たれるように仕向ける。)

天と地の間のこの世とは、いわば風を送り出す鞴のようなものだ。
空虚であるがゆえにあらゆるものが生じて尽きることがない。
動けば動くほどいよいよ風は立ち続ける。

このような道理に照らしてみれば、言葉をおびただしく連ねて主張したり、自分に従わせようとしても、しばしば行き詰まるものだ。
雑念を払って、あたかも頭の中は空っぽであるかのように、くもりなき中空の相を守るべきである。

【お話】
一見、素晴らしいことが行われているように見えるときには、裏で辛辣なことが進行しているということは珍しくありません。

一九二五年(大正十四年)に普通選挙法が成立して国民に歓迎された背後で、天下の悪法「治安維持法」が成立したこと。

またアメリカ映画『ラストサムライ』で、アメリカ人によって日本の武士道精神がたたえられおだてられた二〇〇三年に、いわゆる「イラク特措法(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法)」が成立して、自衛隊が戦地に派遣されるようになったこととは、単なる偶然だったか。

今現在、北朝鮮の態度が軟化して南北融和のムードが強まり、米朝会談が実現しそうなこと。
アメリカが譲歩しそうなこと。
この水面下では、もっとずっと以前から彼らの間で交渉が行われてきました。

歴史的な快挙が実現しそうに見えて、実は私たちの見えないところで何かすさまじいことが進行しているのは、ほぼ間違いないことと覚悟して見つめるべきです。

くもり無きまなこで見届け、判断しましょう。