大象を執れば

(老子道徳経35)

大象を執(と)れば、天下往く。
往きて害あらず、安、平、大なり。
楽と餌(じ)とは、過客(かかく)も止(とど)まる。
道の言に出(い)だすは、淡乎(たんこ)として其れ味わい無し。
これを視るも見るに足らず、これを聴くも聞くに足らず、
これを用いて既(つく)すべからず。

【大体の意味内容】
大いなる気象、つまり目には見えないが確かな象(かたち)をそなえた風のような「道」の働きに倣(なら)って政治を執(と)り行えば、天下万民の営みは淀むことなく運ばれてゆく。
そうした運営に障害はなく、すべて平安で、おおらかな陽気に世は満たされる。

音楽やごちそうがあると、旅人も足をとどめる。

しかし「道」を言葉で表現しても、それは淡白なもので、通常の感覚で味わうことはできない。

注視しても、見ることはできず、傾聴しようとしても聞き取ることができない。

しかしその効用は、いくら用いても尽きることはないのである。

【お話】
『日本はエネルギー大国だ』(二〇一一年)という本を読んだことがあります。
島国日本には黒潮、対馬海流、千島海流、リマン海流と、四つの「海の流れ」があり、その力を利用して発電しようというアイデアの実用化に挑む人たちのドキュメントです。海中に大きなマグロのような形のスクリューを設置して潮流によって回転させ発電しようというもの。

これが実用化されれば海流という、永遠に働く動力を利用してエネルギー供給できることになります。
太陽光発電や風力発電、地熱、潮汐(ちょうせき)など、ほかの自然エネルギーとも組み合わせれば、原発はおろか、火力発電も不要になってしかも余剰(よじょう)が出るほどのエネルギー大国になれるというわけです。

原発などで金儲(かねもう)けしている勢力には受け入れられず、いまだに実用化されていないようですが、まさに「大象を執る」発想は素晴らしい。
ぜひ実用化されるといいですね。

エネルギー利用といった「何かの役に立つ」話とは別に、水とか風とかの自然の働きに感動したり驚かされたりすることはよくあります。

まだ赤ん坊だった子どもを抱っこして田園地帯を散歩していた時のこと。

急に雨が降ってきたので急いで家に帰ろうとしましたが、広大な田園に張られた水にはねる雨音がだんだん大きくなって、はっとして立ち止まりました。

一つ一つのきれいな水滴音が、何千、何万、いや、

何億、何兆かわかりませんが、壮大な交響楽(シンフォニー)となって
その場の宇宙に鳴り響いていました。

傘をさしていたら傘に当たる音で聞こえなかったものすごい音楽が、

こんな風に日常的に奏でられていたのだと知って感無量になりました。

しばらく子どもとずぶぬれになりながら聞きほれていましたっけ。

また、たわわに実った稲穂のじゅうたんが、風の渡る姿を見せてくれたこともありました。

こちらに向かってきたり、向こうへ吹き抜けていったり、渦を巻いたり…

北アルプスの燕岳には、風水が数億年かけて作り上げた花崗岩(かこうがん)の彫刻が、
蒼空(そうくう)に屹立(きつりつ)しています。

 

 

槍ヶ岳の肩に広がる雲海をちぎって、
天蓋(てんがい)のキャンバスに気ままな文様(もんよう)を描いたりもする。

そんな風水の天才的造形力には、心底参ってしまいます。