仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す

子(し)曰(いわ)く、君子(くんし)博(ひろ)く文(ぶん)を学(まな)び、之(これ)を約(やく)するに礼(れい)を以(もっ)てせば、亦(また)以(もっ)て畔(そむ)かざるべきかな。
夫(そ)れ仁者(じんしゃ)は己(おのれ)立(た)たんと欲(ほっ)して人(ひと)を立(た)て、己(おのれ)達(たっ)せんと欲(ほっ)して人(ひと)を達(たっ)す。能(よ)く近(ちか)く譬(たとえ)を取(と)るは、仁(じん)の方(ほう)と謂(い)うべきのみと。

【大体(だいたい)の意味(いみ)内容(ないよう)】
先生(せんせい)はおっしゃった。

「立派(りっぱ)なリーダーたる者(もの)は、万巻(まんがん)の書(しょ)を博覧(はくらん)して広(ひろ)く深(ふか)く知識(ちしき)を蓄(たくわ)え、
こうした広大(こうだい)無辺(むへん)の学識(がくしき)を要約(ようやく)するにあたって、
様々(さまざま)な書(しょ)を生(う)み出(だ)し残(のこ)してくださった先人(せんじん)への感謝(かんしゃ)の気持(きも)ち、
学(まな)ばせてくれた親(おや)や祖先(そせん)への敬意(けいい)、
こうしためぐりあわせに導(みちび)いてくださった神仏(しんぶつ)を言祝(ことほ)ぐ儀礼(ぎれい)、
を中心(ちゅうしん)として行(おこな)えば、最高(さいこう)の道(みち)から外(はず)れることはない。

仁者(じんしゃ)は、自分(じぶん)が立身出世(りっしんしゅっせ)したければ他人(たにん)が立身出世(りっしんしゅっせ)できるように応援(おうえん)し、
自分(じぶん)が志望(しぼう)や目標(もくひょう)に到(とう)達(たつ)したいと思(おも)えば、他人(たにん)が志望(しぼう)や目標(もくひょう)を達成(たっせい)するように導(みちび)く。

そのためにはまず、身近(みぢか)な小(ちい)さな出来事(できごと)の中(なか)に、
実(じつ)は貴重(きちょう)な「立身(りっしん)」や「栄達(えいたつ)」の誉(ほま)れがひそんでいることを示(しめ)す。

これが「仁(じん)」の実践(じっせん)方法(ほうほう)というべきであろう。」

【お話】
「戦国時代の武将たちに茶道の極意を伝えた千利休は、とくにその心を示す名歌として、藤原家隆の

「花をのみ 待つらん人に 山里の 雪間(ゆきま)の草の 春をみせばや」

を示しました。

「春の到来を待つ人たちは、薫り高い梅や、はでやかな桜ばかりを期待しているが、そのような人たちに見せたいものだ、山里に降り積もる雪がやや溶け初めて、かすかな隙間から見えてきた若草の緑を。そこから春の輝きが放たれるのを」

といった内容です。

「戦国時代」とは、中央政府の権威がなくなり社会保障も何もない状況で、自分たちの生活は自分たちの力で守り築かなければならない時代で、
自然の猛威とうまく付き合うための土木技術を発達させたり、ほかの地域のリーダーたちと駆け引きしたり、戦ったりしていた時代です。

ダイナミックではありますが、心休まるいとまのない世界で、

茶道を通じての静かなコミュニケーションで、武将たちは魂の平穏とりもどし、冷静な判断力を磨き上げたようです。

特に「雪間の草」に「春」の本当の輝きを見つけるという、その研ぎ澄まされた精神状態に至ることが、茶道の極意であり、

戦いにおいても、政治においても、生きる努力をするうえでも、最も重要なこととされました。