今さら、ですが、東京五輪(オリンピック)新国立競技場として不採用となったB案を紹介します。
この競技場はそれ自体が小宇宙となっていて、宇宙を構成する要素としての「五行(ごぎょう)思想」即ち「木(もっ)・火(か)・土(ど)・金(ごん)・水(すい)」や、宇宙万物の徳を表す仏教思想の「五輪(ごりん)」即ち「地(ち)・水(すい)・火(か)・空(くう)・風(ふう)」をブレンドした構造体にしようと目論んだものです。いや、設計者の頭の中ではそこまで整理されてはいなかったようですが、はからずもそうなったというべきでしょう。
「五輪」という語は宮本武蔵の『五輪書(ごりんのしょ)』で人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)するようになったのですが、オリンピックシンボルの「五輪」とも結びつけるチャンスでしたね。
「五輪(オリンピックシンボル)(左から青・黄・黒・緑・赤)」の方は、デルフォイの祭壇にあった休戦協定を中に刻んだ五輪の紋章に想を得て、そこからヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸と、その相互の結合・連帯を、意味していますが、それと宇宙の五元素をリンクさせる絶対平和哲学を、至高の輪(わ)(和)の原理を、世界に提唱する絶好の機会となったでしょうに、惜しいことをしました…
さらにB案の凄さは、この宇宙(競技場)が、縄文遺跡の象徴である純木製の列柱に囲まれた祝祭空間であることを示している点です。
狩猟採集に生きた縄文人は、みなオリンピアン並みの身体能力を備えながら1万年間戦争をしなかった平和道徳の民。彼らの魂(トーテム)に囲まれた宇宙で開催されるオリンピック、想像するだけでしびれませんか?
残念ながらB案自体は幻となりましたが、その精神を現在構築中のA案に注入することは可能なはずです。
五輪(オリンピック)を巡る様々な利権や欲望が錯綜するのは避けられないでしょう。
ですが、「平和の祭典」としての祈りだけは、激しく炎上させたいですね。
オリンピックに縄文哲学を