a blessing in disguise

これは「仮装した祝福」という意味です。自分が見舞われている一見不幸な出来事も、仮装しているだけで実は天の祝福・恩恵と捉えなおしてみること。

生命の危険に脅かされてもいる状況ですが、同時に読書する時間も大量に与えられています。とてつもないものに出会えるチャンスです。

「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」そう思えるほどの出会いを味わえれば、人生幸せだったと実感できるでしょう。

父は蔵書家で、家に沢山の本がありましたが、中学時代までは殆(ほとん)ど関心を持てませんでした。

大学受験に失敗して浪人した頃、予備校で現代文を担当された国文学者、喜多上先生のお宅にお邪魔した際の衝撃は生涯忘れられません。決して広くはないアパートの玄関、廊下、台所、居間すべてに本棚がびっしりと並びあらゆる分野の書物や、クラシック音楽のレコードで溢れかえっていました。六畳間では、机は部屋の真ん中に置いて、ぐるりと本やレコードに取り囲まれている。オーディオ機器はどっしりとしたターンテーブルに真空管のアンプ、10年物のタンノイの巨大なスピーカー。CDも出始めていた時代でしたが、最高の音を体感できるのはこうした装置で鳴らすアナログモノーラルレコードなのだと、いやというほど思い知らされました。フルトヴェングラー指揮のワーグナー『神々の黄昏(たそがれ)』よりジークフリート葬送曲の迫力!内臓が直接叩きのめされました。実存哲学から始まって、秋艸道人会津八一の歌や書の研究に辿(たど)り着いた喜多先生のお話は、まさに古今東西の書を博覧した知の奔流ともいうべきもので、私はひたすら圧倒されっぱなし、痺(しび)れっぱなしでした。あの部屋は今も私の書斎のモデルです。

芸能史研究の今尾哲也先生のお宅は、図書館の様に可動式の書架がずらりと並ぶ書庫に数万冊の書籍が収められ、

建築学者上田篤先生の居宅は京都宇治の小高い丘の上にそそり立つ3階建て天守閣で、京都全体を俯瞰(ふかん)する書庫・研究室とし、

心意伝承研究の恩師上原輝男博士は法隆寺の夢殿のような蔵の一階を書庫、二階を瞑想と執筆の間としてらっしゃいました。

この小さな宇宙で先生たちは時空を超えて先哲(せんてつ)たちと出会い、対話していたわけです。

そうした諸先生方の読書経験や書斎のつくり方が、私のささやかな夢にもなっています。いつかダンデリオンを、塾機能と併せて、10万冊くらいは収納した「研究所」にしたいなあ、と。

今はまだ5千冊程度ですが…