授業前の素読(荘子四十五 天道篇第十三)
天楽を知る者は、其の生や天行、其の死や物化、
静かなれば而(すなわ)ち陰と徳を同じくし、
動けば而ち陽と波を同じくすと。
故に天楽を知る者は、天怨(てんおん)なく、人(じん)非(ぴ)なく、物累なく、鬼責なし。
其の動くや天、其の静かなるや地、一心定まりて天下に王たり。
其の魄(はく)も祟(や)まず、其の魂(こん)も疲れず、一心定まりて万物も服すと。
虚静を以て天地に推し、万物に通ずるを言う。
此れをこれ天楽と謂う。
天楽は、聖人の心、以て天下を畜(やしな)うなり。
【大体の意味内容】
宇宙交響楽である天楽を堪能できる者は、その生命活動は天行すなわち宇宙のリズムに乗じた行いとなる。
その死は物化すなわち一個人の個性を放棄した万物そのものと化することであって、いわゆる滅びではない。
闇を照らす月影は静かに、太陰の光徳を眠れる者たちに注ぐ。
ひとたび動けば太陽のごとく燃え盛り、その熱波を世に普く伝える。
それゆえに天楽を知る者は、天罰を受けるということがなく、
人間の陥りがちな非道とは無縁で、物ごとに煩わされず、鬼神の責め苦を被ることもない。
動的な相はまさに天、静的な相が地であって、それら諸相の中心が定まってこそ、天下の王となる。
魂魄、すなわち肉体も精神も病むことなく疲弊せず、
心身の中心が定まれば、身体の機能がその生命を支える。
それと同様にして、万物からも支えられる、そのような人物を本来「王」というのであって、
生まれつきの身分は関係ないのだ。
虚心坦懐な静かさを以て天地に吾が身を披(ひら)き、万物と気脈を通じること能(あた)う者、という意味である。
こうした生命活動こそが、天楽である。
天楽とは、聖人の心を以て、天下を養うということである。
【お話】
かつてこの授業前の素読本文として、次の文言(もんごん)を読んだことがあります。
天地(あめつち)は日月(じつげつ)の魂魄(こんぱく)なり。
人の魂魄は日月二神の霊性なり。(吉田兼倶(かねとも)『神道大意』)
(天は太陽の魂であり、大地は月の肉体である。
人の精神と肉体は、太陽魂としての天と、月神が受肉した大地との霊的結合体。
我々の存在は、そうした天地の大いなる存在とつながった、小宇宙(ミクロコスモス)なのである。)
今回の本文は、この吉田兼倶の原典でもあるのでしょう。
兼倶の場合は日と月といった具体的天体の方を主神として、天地がそこから派生したといった流れでとらえているようですが、
人間という小宇宙と、それを包み込む大宇宙との密接なつながりを述べている点では共通しています。
新型コロナウィルス感染のパンデミックにより、緊急事態宣言が発令され、経済的な大打撃を全世界が被っています。
これがコウモリ等の動物から自然に感染してしまったものか、武漢の細菌研究所から流出したものか、意図的に流されたものか、米軍に持ち込まれたものか
、ビル・ゲイツが黒幕の陰謀か、様々なことが言われていますが、
いずれにせよこの未曽有の危機的状況の中で、様々な変革(レボリューション)も、多方面で起きています。
テレワーク(遠隔労働)とかオンラインミーティング(インターネット会議)とかがすっかり日常会話の中で定着しました。
今まで自分の意思では実現できなかったことや、変えられなかったことが、
何か抗(あらが)えない出来事を通じて一気に実現したり変われたりした、
そういう面があることも否定できません。
ダンデリオンですらオンライン授業が始まってしまいました。我ながらびっくりです。
きっかけは何であれ、様々なところに宇宙の意思が働いており、一見、自分の意思とは無関係なように見えることに動かされたり生かされたりすることがあ
る。でもそれも本当は、無意識の自分の意思だったのかもしれません。
何か見えない、知ることのできない深いところで、サムシング・グレート(何か大いなるもの)とのつながりを、感ぜざるを得ませんね。