達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る

子(し)曰(いわ)く、夫れ達なる者は、質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色仁を取りて行違う。之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆと。

【大体(だいたい)の意味(いみ)内容(ないよう)】
先生(せんせい)はおっしゃった。「達人とは人格が素直であって義理人情を重視する。人の発言の背後にある本心を察して、その実相に観入できる。人々の感情の機微に配慮して、自分をへりくだらせることもあえてする。それだからこそ、周囲の人々からはもちろん、国中の人々から達人と認められるのだ。だが、いわゆる「有名人」は違う。表面は以下にも仁徳の人を装うが、実際は自分の名の売込みばかりしている。それがよいことだと信じて疑わない。それで、周囲や国中から有名人扱いされるだけだ。」

【お話】
やたらと偉そうにふるまったり、自分は人一倍働いていると見せかけたり、大変な苦労をしていると主張したり、世界を股(また)にかけて大活躍しているように吹聴(ふいちょう)している人ほど、くだらない人間もいません。本当の達人ほど、「仕事した」顔をしないものです。本当の達人は、自分が全力を尽(つ)くし切ったとしても、それは他者からすれば微々(びび)たるものにしかすぎず、まだまだ足りないと謙虚(けんきょ)に反省するような人です。わずかな功績を針小棒大にひけらかしたり、わずかな不幸を大げさに見せびらかしたり、少しばかりの努力を誇大(こだい)に宣伝したり…、そうした実質を伴わない過剰(かじょう)さは、ほんとうに吐(は)き気がするほど見苦しい。くだらない自分を隠すために、懸命に他人を貶(おとし)めたり、バカにしたり、罪をなすりつけたり、責任を押し付けたりするものにいたっては、救いようのない愚か者です。かという自分にも、こうした側面のいくつかが当てはまってしまうので、常に意識して、ばかげた己(おのれ)を克服しなくてはいけないと思います。