身体髪膚これを父母に受く

(孝経 礼記)
身體(しんたい)髪膚(はっぷ)之を父母に受く、
敢て毀(き)傷(しょう)せざるは、孝の始なり。(孝経)

玉琢(みが)かざれば器と成らず。
人學ばざれば道を知らず。(禮記)

【大体の意味内容】
 私たちの骨や肉体、髪や皮膚などは、父母の身体を受け継いで生み出された結晶である。
(父母はまたその父母たちから、その父母たちもさらに前の父母たちからと、はるかな太古の人々の身体を受け継ぎ続けてきている。
いかなる災害をも乗り越えて生き延び受け継がれてきたこの身体は、存在しているということ自体、奇跡である。)

この身体を、努めて養生し、毀したり傷つけたりしないことが孝行すなわち親、祖先に尽くすということになる。
(目の前の親に孝行することも大事だが、自分の身体を大事にすることが、今現在自分の身体を形作っている祖先の遺伝子を大事にする

ということになる。
それはそのまま、これから生まれる子孫の身体を大事にすることでもある。
祖先の遺伝子、私たちの身体、それは次の新しい命のもととなる、宝玉なのだ。)

宝玉の原石は、丁寧に、根気よく磨かなければ、宝器とは成らない。
人も、丁寧に、根気良く学ばなければ、我々自身がこの宇宙においてどのような存在であり、いかに生きるのがよいのかという、「道」

理を知ることはできない。
(多くの原石を同じように磨いたとしても、すべて異なる輝きや外観、機能を持った器物となる。
まったく同じという器物は一つもない。
人もそれぞれの身体・精神を磨くことで、みなが違った光を放ち、異なる役割を担って、それぞれにとって最高の活力を発揮して生きて

ゆくことになる。
つまりすべてのひとり一人には、それぞれの身体・精神にふさわしい「道」の原理があるのだ。)

【お話】
日本人の死亡原因として一番高いのは何か?
癌(がん)?交通事故?自殺?

じつは、人工(じんこう)中絶(ちゅうぜつ)なのだそうです。(沖田(おきた)×華(ばっか)著 マンガ『透明なゆりかご』)

いろんな事情があるでしょう。
人工中絶は、その女性にとっても危険(リスク)があるので、重い決断によるものです。
軽率に非難することはできません。
が、事実として、生を享(う)けながら、この世に生まれることができずに死んでしまった人(赤ちゃんになる予定だった人)がたくさん

いた、ということです。

私たちは「幸運にも」生まれてきて今現在まで生きている。
このことは、まずは両親のお陰です。学修塾ダンデリオンの入会オリエンテーションで必ず確認していることですが、
まずは両親に感謝しましょう。

自分の誕生日には「産んでくれてありがとう」と感謝しましょう。

自分の誕生日に「おめでとう」とお祝いをしてくれたり、プレゼントしてくれたりする人々への愛情に、心から感謝しましょう。

そのように祝福された自分は、それでどう生きるのか、厳粛に考えましょう。

「君がなんとなく生きた今日は、昨日死んでいった人たちが、
 どうしても生きたかった大切な明日だ」

アメリカの先住民族(インディアンとか呼ばれてしまっていた人々)に伝わる箴言(しんげん)だそうです。

「赤ちゃん」になれなかった人々も含めて、生と死の森厳な交錯の上で、かろうじて私たちは生きていますし、
私たちの身体に太古からの記憶や遺伝子が息づいていて、
それを未来につないでいく。

自分が精一杯生きることもそうですし、
あたらしく子どもを産む形であったり、自分の子どもではなくても新しい生命を支えていく形で。

存在していること、生きていること、なんて神秘的なのでしょう。