石山の奥、岩間のうしろに山有

(授業前の素読 松尾芭蕉「幻住庵記」1)

石山の奥、岩間のうしろに山有、国分山と云。
そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。

麓に細き流れを渡りて、翠微(すいび)に登る事三曲二百歩にして、
八幡宮たたせたまふ。

神体は弥陀の尊像とかや。
唯一の家には甚(はなはだ)忌(いむ)なる事を、
両部光を和げ、利益(りやく)の塵を同じうしたまふも又貴し。

日比(ひごろ)は人の詣(もうで)ざりければ、
いとど神さび物しづかなる傍(かたわら)に、
住捨てし草の戸有。

よもぎ・根笹軒をかこみ、
屋根もり壁落て、
狐狸ふしどを得たり。

幻住庵と云。

主(あるじ)の僧何がしは、
勇士菅沼氏曲水子之伯父になん侍りしを、
今は八年(やとせ)計(ばかり)むかしに成て、
正に幻住老人の名をのみ残せり。

【大体の意味内容】
近江八景の一つ、石山寺の奥の岩間山の背後にこんもりとした山がある。
国分山と云い、昔国分寺があったのでその名残を伝えているのだろう。

麓の細い流れを渡り、山の中腹へ登ること三曲り、二百歩ほどで八幡宮が立っている。

ご神体は阿弥陀の尊像らしく、「唯一神道」の家ではこうした神仏混淆を嫌うのであろう。
だがこのお社は神仏一体の「両部神道」で、
神と仏が互いにその御威光をやわらげ、
ご利益をどんな塵芥にも同じく施してくださるのは尊いことだ。

普段は参詣する人もいないので、たいそう神さびしく物静かなたたずまいの傍らに、
ある人の住み捨てた草庵がある。

よもぎや根笹が生い茂って軒をかこみ、
屋根は雨漏り、
壁は崩れ落ち、
狐や狸の格好の寝床となっている。

名を幻住庵と云うが、
確かに幻の住み処というにふさわしい趣である。

この庵主の僧のなんとかさんは、勇士、菅沼曲水子の伯父上であったが、
今はもう亡くなられて八年ほどたっている。

まさに、この世という幻の世界に住んだという文字どおり、
幻住老人という名だけを残している。

【お話】
松尾芭蕉といえば『奥の細道』が有名で、学校でも暗唱させられていると思いますが、
その芭蕉が書き残した数多くの俳文の中でも最高傑作とされているのが、この「幻住庵記(げんじゅうあんのき)」です。

「幻の住み処(か)」と読んでも、「住み処(か)は幻」と読んでもよいでしょう。

この世が絶対の世界などではないといった奥行きのあるイメージ世界が広がるし、
「げんじゅうあん」という響きもまたいいです。
幻だけれどずっしり重みのある存在感も漂わせてくれます。
私自身大好きな文章の一つです。

この文章、今回のこれで終わりではありません。
たぶん6回か7回に分けて読むことになろうと思います。

漢語の歯切れの良さと、和語の柔らかな響きとをブレンドしたこのリズムは、
日本語が様々な言語と調和できる可能性を示したお手本だと思います。

「光を和(やわ)らげ」とか
「利益(りやく)の塵(ちり)を同じう」するとか、
もともと無関係な言葉を組み合わせて独特のイメージの重ね絵を作り、
音の流れもスムーズにしています。

響きもリズムも素晴らしい。

「名文」は「名曲」なのだと実感させられます。

声に出して自分なりに抑揚や感情を籠(こ)めて読めばそれがよくわかります。

「歌を詠(よ)む」と言います。

それは「歌を読解する」ことではありません。
あくまで「歌を朗詠(ろうえい)する」つまり声に出して歌いその音楽性を味わうことです。

そうやって、昔の人の気概(きがい)に触れ、それを自分の身体で再生することなのです。

意味を理解するということは、二の次でよろしい。

様々な人々の真剣(しんけん)真摯(しんし)な気概に触れ自分の感性を磨(みが)きましょう。

時代を超えて「古典」として残るような名作名文を著(あらわ)した人々は、
神仏の啓示と言えるような大いなるものを受信し、
それを多くの人々に送信しようと悪戦苦闘して、書き残してくれたはずなのです。

我々も自分の感性というアンテナを磨(みが)き、鍛えて、何か大事なモノを受信できるようにしたいものです。