治す力=壊す力

 「私たちは人間の体を治す力を持っていますが、逆に、壊す力も持っています。だから間違えることのないように、日々研鑽(けんさん)を積まなければならないんです。」
 5月半ばに腰を痛めてしまい、教室の近くの「はな接骨院」に通っています。夜12時半過ぎに教室を出ても、いつも「はな」さんの灯(あか)りがついているので先生に尋ねたところ、上記のようなお話をうかがえました。感服するとともに、私のなかにもグサッと刺さってきました。
 教育の現場に立つものとして、深く肝に銘じなければならないと思います。むしろ、子どもたちの目に見えないところを育てようとしているので、その逆に壊してしまったとしてもそれも目に見えないし、自分が壊したという痕跡も残らないので、気づきにくく、またごまかすことだってできてしまう点では、物理的破壊より罪深いかもしれません。
 じっさい、受験の近づく時期の生徒さんの中から、指導者のアドバイスを全く聞かなくなり、難問奇問ばかりに手を出したり、理解しようとすることを忌避して単に問題演習とマルつけだけに終始したり、苦手を避けて好きな科目、好きな単元に偏ったり、ただただ有名な学校だけ受験したり、などなどなどなどと、いわば「破滅へ向かってアクセルを踏む」人が出てくることがあります。プレッシャーからくるパニックでもありますが、どこかで私たちがその生徒を壊してしまった可能性もあります。
 受験生の場合に限らずもっと重視すべきは、ある生徒が持っている個性をつぶしてしまっていないか、ということです。一見、何の役に立つかわからないことに夢中になったり、誰でもできることがどうしてもできなかったり、発想の仕方がその場の文脈から外れていたり、など「ふつう」じゃないと見られがちな側面を、ただ単に「ふつう」に見えるように「矯正」するのは、ほんとうに「正」しいことなのか。
 決して今に始まった珍しいテーマではありませんが、にもかかわらず適切な対応の困難な問題です。「壊す」という、わかりやすくインパクトのある言葉で、改めて考えなおすようになりました。
これから夏という大きなヤマ場を迎えるにあたって、「鍛える」かヘタすると「壊し」てしまうか、よ~く見極めながら、生徒さんたちと一緒に努力精進してまいります。