楽しみの全きこと志得たりと謂う

授業前の素読(荘子五十一 繕性篇第十六)
古の身を存する者は、
弁を以て知を飾らず、
知を以て天を窮めず、
知を以て徳を窮めず、
危然として其の所に処(お)りて其の性に反(かえ)るのみ。
又た何をか為さんや。

道は固(もと)より小行せず、
徳は固より小識せず。

小識は徳を傷(そこな)い、
小行は道を傷(そこな)う。

故に曰く、己を正さんのみと。

楽しみの全(まった)きことを志を得たりと謂う。

【大体の意味内容】
昔の生気漲(みなぎ)る身体を維持した人は、弁舌を振るってその知識を飾り立てたりはしなかった。
知能を働かせて、天地自然の法則など究めようとはしなかった。
理知的に、徳を計量しようなどともしなかった。

毅然とした態度で、その時その時におかれた場所にたたずみ、
自分の本性に立ち返ってなすべきことを成し遂げていた。

それ以上に何をすることがあろうか、賢しらな振る舞いは余計なことだ。

「道」は小事にとらわれた行き方はせず、
「徳」は小賢しい認識論に収まったりはしない。

小賢しい認識論や小事にとらわれ行き方は、かえって「道」や「徳」を損なうものだ。

だから「己を正しさえすればよい」というのである。

無為(ぶい)自然(じねん)の「道徳」によって生きるという楽しみを全うすることが、
志を得た生きざまと言えるものである。

【お話】
「立腰(りつよう)」という言葉があることを、最近小学2年生の生徒さんから教えられました。

辞書には載っていませんが、なんとなくイメージはできるのでネットで調べてみると、
「腰骨をいつも立てることで集中力・持続力の根本を育てるメソッド」とのこと。

要するに立っている時も座っている時も背筋を伸ばして真っすぐの姿勢でいることです。

背中を丸めて座ると内臓が圧迫されて機能が落ちたり負担がかかったりします。
肺も圧迫されるので呼吸が浅くなり、酸素の循環も悪くなる。
良いことはほとんどありません。

姿勢を正すと内臓にもいいし呼吸も深くなり、頭の中がスーッと通気がよくなるような快感を覚えられます。
頭脳明晰になり集中力も高まる、というのは本当です。

今回の本文中の「己を正さんのみ」とは、いわゆる「立腰(りつよう)」で姿勢を正すことだと考えて間違いないでしょう。

こうして全身の細胞を活性化させることが、大宇宙の原理・はたらきとしての「道徳」に適(かな)った健康な生き方、ということになるのでしょう。

「道徳」とは深い意味での健康生活のことであり、養生法(ようじょうほう)なのです。

「善い行い」を勧めて「悪い行い」を否定するような行動規範のことでは、本来なかったわけです。