子(し)曰(いわ)く、
利(り)に放(よ)りて行(おこな)えば、怨(うらみ)多(おお)し。
位(くらい)無(な)きことを患(うれ)えず、立(た)つ所以(ゆえん)を患(うれ)う。
己(おのれ)を知(し)ること莫(な)きを患(うれ)えず、知(し)らるべきこと為(な)すを求(もと)む。
朝(あした)に道(みち)を聞(き)かば、夕(ゆうべ)に死(し)すとも可(か)なり。
【大体(だいたい)の意味(いみ)内容(ないよう)】
先生(せんせい)はおっしゃった。
「自分(じぶん)にとって利益(りえき)があるかどうかで行動(こうどう)する者(もの)は、人(ひと)の恨(うら)みを買(か)うばかりだ。
地位(ちい)がない、ほしいポジションが与(あた)えられないと、気(き)に病(や)んだり他人(たにん)のせいにしたりするのは間違(まちが)いだ。
自分(じぶん)がそんな状況(じょうきょう)にあることの原因(げんいん)は自分(じぶん)にあることを、
反省(はんせい)すべきである。
人(ひと)から認(みと)めてもらえないと、嘆(なげ)いたりするな。
人(ひと)に知(し)られ認(みと)められる行動(こうどう)の仕方(しかた)を追求(ついきゅう)しなさい。
自分(じぶん)の全身(ぜんしん)全霊(ぜんれい)をかけて進(すす)むべき道(みち)に到(とう)達(たつ)したならば、
いつ死(し)んでも満足(まんぞく)だ。」
【蛇足のお話】
陸上競技百メートル走の桐生祥秀選手がついに九秒台(9.98)を出しました。
心から、おめでとうございます!
高三の時に一〇秒〇一を記録してから四年。大学一年生の時には、コーチが「九秒台を出させる」と言ってくれないので信用せず、反抗したりキレたりを繰り返したそうです。
リオ五輪ではリレーで銀メダルという快挙でしたが、百メートルでは準決勝に進めず敗退。
この一~二年の間に強力なライバルも次々と出現し始め、今年の世界陸上では百メートルの代表選手から漏れるという辛酸を嘗(な)めました。
ただこうした、一見不調が続く中で、慎重論だったコーチが「九秒台いける」と確信をもって言い始めたとか。
二〇一七年九月九日、大学生としての最後の試合で、彼は太ももを少し痛めていたので、
決勝レースに出場するかどうかも危ぶんでいたそうですが、最後だからけがをしてもかまわない、勝つために全力を尽くすと決意してピッチに立ちました。
ゴール後の速報タイムが九秒九九で、競技場全体がどよめき、「正式タイムが十秒にならないように」とその場のだれもが祈り、三三秒後に表示された正式タイム「九秒九八」で競技場全体がはじけて地鳴りを起こしたような大歓声。
喜びを爆発させる桐生選手(近くにいたカメラマンが吹っ飛ばされてました)。
感動的な場面でした。
同時に、ウサイン・ボルト選手のラストランの、衝撃の結末も思い起こし、頂点を極める争いとはこの両面が常に背中合わせなのだと、改めて思いました。