才全くして徳の形(あら)われざる者

(授業前の素読 荘子二十 徳充符篇第五)

仲尼曰く、
丘や嘗(かつ)て楚に使いし、適々(たまたま)㹠子(とんし)の其の死母に食(ちの)む者を見たり。
少焉(しばらく)にして眴若(じゅんじゃく)として皆これを棄(す)てて走る。
己を見ざればなり、類を得ざればなり。

その母を愛する所の者は、その形を愛するに非ず、その形を使う者を愛するなり。

刖者(げっしゃ)の履(くつ)は為にこれを愛(おし)むことなし。
皆其の本なければなり。

形の全きすら猶以て爾(しか)りと為すに足る。而るを況(いわん)んや全徳の人をや。

今哀駘它(あいたいだ)は未だ言わずして信ぜられ、功なくして親しまれ、
人をして己に国を授けて、唯其の受けざることを恐れしむ。

是必ず才全くして徳の形(あら)われざる者なりと。

【大体の意味内容】
孔子は答えた、
「私はかつて楚の国に使者として参りましたが、偶然、子豚たちが死んだ母豚の乳を吸っているのを見ました。
しばらくすると、子豚たちは驚いた表情で、みな死んだ母を棄てて逃げ去りました。
その骸(むくろ)には、母が愛する自分たちが映し出されず、乳を飲んで生きようとする自分たちとの絆を得られなかったからです。

つまり母を愛するというのは、その姿かたちを愛するのではなく、
その姿かたちを動かしているモノ、すなわち自分への情愛を、求めているのです。

足切の刑で失われた足の履物(はきもの)を愛(いと)おしむということがないのは、
その履物が命を帯びる本体がないからです。

姿かたちに欠けたところがない物には、その肉体を機能させる生命が働いているから、心を込めて関わりあえます。
ましてや、完全なる仁徳を備えた人とは、なおさら絆を結びたくなろうというものです。

いま哀駘它(あいたいだ)は何も言わないのに信用され、
何の功績もあげていないのに親愛され、
人から一つの国をプレゼントされ、しかも受け取ってくれないことを恐れさせています。

これはきっと、様々な才能が完全であるのに、その徳(はたらき)が表に現れない者なのでしょう。」

【お話】
醜男(ぶおとこ)哀駘它(あいたいだ)シリーズの2回目。

肉体と精神をはっきりと分ける考え方を、孔子がしていたと述べられているものです。

母親としての身体を持つものが本当の母なのではなく、子への情愛を発揮するスピリットが本体で、
それがない「物」はすでに「母」ではないと。

逆に肉体はどんなに見苦しく醜(みにく)いものであっても、
仁徳の篤い、つまり高いレベルの精神の持ち主は、人々に好かれ、敬愛されるという主張です。

孔子自身がこうした、いわゆる「心身二元論(人間は肉体と、それを支配コントロールする精神という二つの要素を元にして成り立って

老子

いるという考え方)」を標榜(ひょうぼう)していたわけではありませんが、
『論語』(孔子の言行録)や、孔子編集とされる『春秋』『書経』『詩経』などから、荘子なりにこうまとめてみたということなのでしょう。

紀元前500年頃活躍した孔子は、紀元前200年頃の荘子からすれば300年ほど前の偉人ですが、
孔子と同じころの老子の思想の方に、荘子は共感していたようです。

「老荘思想」と一(ひと)括(くく)りにして言われるほど、似た傾向の思想が展開されています。

荘子

なので荘子は、老子と孔子とを対比させる意味でも、
孔子を、人間の精神を重視する二元論者として語りだしているのかと思われます。

ちなみに老子や荘子は、宇宙の根源的原理としての「道」とその「徳(はたらき)」を重視した、
無為(ぶい)自然(じねん)の思想と言えます。
人間の外側というよりも、人間をも包括し、生かしている一元的世界観です。

孔子の死後50年ほどのころに、ギリシャでプラトンが生まれ、のちに「イデア論」を展開しています。
ざっくり見れば、「真の存在(イデア)」と、そのイデアを分け持っている様々な存在

孔子

(コップとか人間とか)、
という二元論です。
証拠も何もありませんが、ユーラシア大陸は地続きですから、ギリシャの情報が中国にも伝わってないとは言い切れない、
荘子がソクラテス、プラトン、アリストテレスの思想を知っていて、
「孔子の説明」に利用したかもしれない、

そんな妄想を抱かせるような記事でした。

プラトン