憤の一字

(授業前の素読 言志録1)
憤の一字は、是れ進学の機関なり。舜何人ぞや、予何人ぞやとは、方に是れ憤なり。
学は立志より要なるは莫し。而して立志も亦之を強うるに非ず。只だ本心の好むところに従うのみ。

【大体の意味内容】
発憤するの「憤」の一字は、学問に進むためのエンジンである。孔子の高弟である顔淵が、「(聖人君子として名高い)舜とは、いったいどれほどの人物であるのか。私自身はどれほどの人間になれるか、試してみようではないか」と言った。こうした気炎を発することこそ、まさに「憤」なのである。
学、すなわち、何かを学ぶということには、志を立てることよりも重要なことはない。しかし、そのように志を奮い立たせることも、他人から強制するべきものではない。ひたすら、自己の素直で正直な本心が、どうしても執着してしまうところに従うのみである。

【お話】
『言志四録』という本を読んでみます。著者は江戸時代後期の学者佐藤一(いっ)斎(さい)。弟子や、この人の影響を強く受けた人はたくさんいますが、とても有名な人としては、佐久間(さくま)象山(しょうざん)、横井(よこい)小楠(しょうなん)などで、佐久間象山に学んだ人からは勝海舟(かつかいしゅう)、吉田(よしだ)松陰(しょういん)、坂本(さかもと)龍(りょう)馬(ま)、などが出ました。吉田松陰の弟子には高杉(たかすぎ)晋作(しんさく)、久坂(くさか)玄(げん)瑞(ずい)、木戸(きど)孝允(たかよし)、伊藤(いとう)博文(ひろぶみ)(初代内閣総理大臣)、山縣(やまがた)有(あり)朋(とも)がおり、また『言志四録』を愛読し、大きな影響を受けた人物の中に、西郷(さいごう)隆盛(たかもり)がいます。
このように、幕末から明治維新への動乱期の英傑たちに、開明的な知恵を授けた興味深い書物に、親しんでみたいと思います。
「志を立てる」というと堅苦(かたくる)しい感じがしますが、一斎先生は「自分が好きで好きでしょうがないことをトコトン極めろ」とおっしゃってくださいます。もっといえば、放っておいても意識が向かっていってしまうのは何か、まずそれを見極めよ、ということなのでしょう。単に表面的に好き、なのではなく、本心から好き。たとえば惚(ほ)れてしまった異性の事なら、寝ても覚めてもその人のことが頭から離れなくなってしまう、考えれば考えるほど息苦しいくらいに動悸(どうき)が高まってしまうでしょう(まだそんな経験はないですか?)。それくらいに好きなことは何か。
そうして、志を立てたことについて、徹底的に学びこんでゆくためのエンジンが、「憤(ふん)(いきどおり)」だという。わかりやすく言えば、「怒りのようなもの」だと思います。何かを憎んだり殺意を抱くことではなく、純粋にカーッとなること。たとえるならば、「怒り」というのが一番ピンとくるような、抑(おさ)えようにも抑(おさ)えがたい激情。これが最強の学力アップへの特効薬です。
すぐに見つからなくても大丈夫です。いろいろと迷いながら、気になることについては味わってみましょう。