恭にして礼無ければ、則ち労す

ダンデリオン素読 論語20 泰伯第八 二
子曰く、恭にして礼無ければ、則(すなわ)ち労す。慎にして礼無ければ、則ち葸(おそ)る。勇にして礼無ければ、則ち乱す。直にして礼無ければ、則ち絞す。
【大体の意味内容】先生はおっしゃった。「他人に対して表面的に恭しく丁寧(ていねい)な態度をとっても、本当の「礼」つまり神様の祭りをする際にお神酒を呑(の)んで酔うようなおおらかな真心がなければ、骨折り損のくたびれ儲けになってしまう。慎重に行動するにも、そうした神様を敬って酔うような解放された気分を持っていなければ、たんに臆病に怖れているだけになってしまう。逆に勇敢(ゆうかん)にふるまうときにも、やはりお神酒(みき)に酔っぱらって自己顕示欲を捨ててしまうことができなければ、他人を傷めつけて喜ぶような乱れた野蛮さに堕(お)ちてしまう。率直であっても、相手に酒を勧めるようなあたたかい「礼」がなければ、単に厳しく絞めつけて、それで立派な指導をしているつもりになっているだけの自己満足に陥(おちい)る。

【お話】孔子(こうし)の言う「礼」とは、ずいぶん深く味わいのある言葉なのだなと、改めて思いました。「礼」とは神様に祈り祭る際にお神酒を呑むという意味があることも、初めて知りました。「酒に酔う」と普通は「乱れてしまう」と考えますが、心からの祈りをささげつつ酔うことは、自分の表面を飾っているものを取り払って、正体を顕わすことにつながるのでしょう。見苦しい酔い方をするか、美しい酔い方をするか、そこで真価が問われるということなのです。それと同様に、自分の表面に貼り付いた余計なものをすべて削り落とし、本質本性からの誠意を尽くすという、むき出しの愛が、「礼」なのだと感じました。