志有るの士は利刃(りじん)の如し

(授業前の素読 言志四録七)

志有るの士は利刃(りじん)の如し。
百邪辟易す。
志無きの士は鈍刀の如し。
童蒙も侮翫(ぶがん)す。

少年の時は当(まさ)に老成の工夫を著すべし。
老成の時は当に少年の志気を存すべし。

人の言は須(すべか)らく容れて之を択ぶべし。
拒む可からず。
又惑う可からず。

心の形(あら)わるる所は、尤(もっと)も言と色とに在り。
言を察して色を観れば、賢不肖、人廋(かく)す能(あた)わず。

人の賢否は、初めて見る時に於て之を相するに、
多く謬(あやま)らず。

【大体の意味内容】
志のある人は鋭利な刃のようなもので、幾百もの邪悪な怪物どももたじろいでしまう。
なにもしようとする意志がない人は、なまくら刀のようなもので、子どもまでが馬鹿にする。

若い時は、経験を積んだ人がよくよく考え、行動するときは思わぬことに当たっても慌て騒がず落ち着いて対処するよう、老成の工夫をすべきである。
年を取ってからは、若者のような漲(みなぎ)る意志と、ギラギラした気力とを失わないよう、自分を鼓舞すべきだ。

他人の意見は、先ずは全面的に聞き入れてから、吟味して取捨選択すべきである。
最初から聞く耳を持たず軽率に否定するべきではない。

また聞き入れた意見をすべて真に受けて、迷ったりブレたりしてもいけない、腹に収めてよく評価してみること。

人の心が外形に現れるところは、ことばと顔色である。

ことばの音色に、その人の心の琴線の鳴り方が現れ、
ことばづかいに本当の態度が現れる。

そうして顔つきの品格を観れば、
賢く気品の高いものか、それとも愚かで下劣な者であるかハッキリと出て、隠すことはできない。

だいたい、人が賢き方か、そうでないかは、
初めて会った時に直感した第一印象で真相をつかめるもので、
多くの場合それに間違いはない。

【お話】
昔の武家の女性は必ず懐(ふところ)に短刀(たんとう)を忍(しの)ばせていて、自分が辱(はずかし)めを受けそうなときはそれで自分ののどを切って死ぬ覚悟を持っていたとか。
現代でそんなことをされては困りますが、自分の生き方に何らかの志を持ち、心に刃(やいば)をもって生きる、というのなら、凛(りん)とした感じでカッコいいし、美しいと思います。

「志」といっても、鬼に取り憑(つ)かれた妹を救うとかいう勇気に満ちたものばかりでなく、例えば「みんなの人気者になりたい」といったことでもよいでしょう。
ある学校へ入りたいという「志望」も、立派な「志」です。
入学試験という「試練」があるのも、その志を果たすための通過儀礼(イニシエーション)です。
巷で評判の『鬼滅の刃』のアニメ、少しだけ見てみました。
主人公竈門炭治郎が志を果たすために様々な試練を乗り越えてゆく旅は、物語世界の中だけの話ではなく、
実はみなさんが生きていく人生の過程そのものを暗示しています。
退治される「鬼」の側にも、悲しい過去があったり、生き方をどう選ぶかで致命的な状況に陥ってしまうことがあるのもきちんと描かれています。

こうした物語を楽しみながら、自分の生き方についても、思いを巡らせてみましょう。