国葬と「国葬儀」

 英国エリザベス女王の国葬をテレビで視聴しました。外国の葬儀をじっくり見たのはよく考えたら初めてのことです。日本のように、事前に葬儀の場に(ひつぎ)が安置され祭壇が設けられる、という形ではなく、特別な祭壇のような設備なしに、先に参列者がそろったところへ(ひつぎ)一つ、厳かに運び込まれる、という始まりでした。その棺も(ぎょう)(ぎょう)しい装飾はされず、王室(ロイヤルスタン)(ダード)でくるまれ王冠や宝珠(ほうじゅ)(おう)(しゃく)が置かれ花が添えられただけの、「質素」といってよいような趣です(散りばめられた宝石群は物凄いらしいですが)。参列者を圧倒しようといわんばかりの豪奢(ごうしゃ)な祭壇も巨大な遺影もありません。斎場となったウェストミンスター寺院の天井からのカメラで見ると、その場自体が十字架状で、中心に棺がぽつんと置かれた格好です。十字架上に参列した人々に囲まれている。トラス首相の聖書朗読、カンタベリー大主教の説教、少年たちの合唱、黙禱(もくとう)、バグパイプ奏者による追悼演奏など、亡き女王への弔意(ちょうい)に満ちた内容でした。死者を神格化するような演出はなく、国威の発揚とか死者が所属していた団体の権威付けを図るような嫌味のない、何か純粋で心がしーんとなるような一時間でした。
 今後何かと比較されるであろう日本の元首相の「国葬儀」はどうなるでしょうか。エリザベス女王の国葬でさえ議会の承認を得たうえでの実施なのに、閣議決定だけで、法的根拠の希薄な「国葬儀」を強行しようということ対して反対の声が日増しに高まっています。

 まだ正式に憲法改正がされていないのにもうすでに「緊急事態条項」が成り立っているかのような振舞い。閣議決定だけであらゆる国家事業を行えることの、予行演習となってしまっています。これは危うい。あのヒトラーですら、「全権委任法」を手に入れるのには議会の賛成多数を得て法案を通過させる手間を踏みましたが、現与党による改憲案では、「緊急事態条項」が成立すれば閣議決定だけで(罷免されては困るので国務大臣全員がほぼ首相の言いなりになる閣議決定だけで)、法律と同等の効力・強制力を持つ特別な政令を出せるのです。現与党の宗教的背景の()(さん)(くさ)さも思えば、この傾向は本当に危険極まりないと言わざるを得ません。

 十数億円(?)かける「国葬儀」に各国の元首はあまり参列せず、国内の有識者たちも「招待状」を目の前に戸惑い、二の足を踏んでいる様子。当日、ビッグネームの参列者がいなかったら、元首相の遺志を継ぐ彼らはきっとこう言うのでしょう。「招待したが、招いてない」と。