(老子道徳経 上編道経9 功遂げて身退くは天の道なり)
持して之を盈(み)たすは、其の已(や)むるに如(し)かず。
揣(きた)えて之を鋭くすれど、長く保つ可(べ)からず。
金玉堂に満つれば、之を能く守る莫(な)し。
富貴にして驕(おご)れば、自らその咎(とが)を遺(のこ)す。
功遂げて身退くは、天の道なり。
【大体の意味内容】
持っている器の中身をいっぱいに満たしたままにしておくのはやめた方がよい。かえって身の自由を奪われて身動きが取れなくなる。
打ち固め鍛え上げて鋭く研いでも、長持ちしない。(古代の鉄は酸素が多くてさびやすく、ボロボロになりやすかった)
黄金や宝玉が屋敷の内を満たすほど大量に持っていると、むしろそれを守り通すことができないものだ。
富と高貴な地位を得て驕(おご)り高ぶれば、浪費散財を繰り返して破たんし、莫大な債務を残すのがオチだ。
何かを成し遂げたら、その功名にすがって保身を図ろうなどとはせず、さっさと身を引いて裸一貫に戻ること。
これが、天の道に適(かな)うことである。
常に遊働(ゆうどう)して滞(とどこお)ることがなく、ありとあらゆるものが生じては離合集散を繰り返す。死滅するものがあればまた生ずるものがあって、図らざるも、大いなる意思のもとで連続性を保つのである。
【お話】
流れている水は腐らないと言います。逆に言えば、流れなくなってたまってしまうと、次第に腐ってゆくということです。
富・財産とか地位や名誉、そういったものは本来一時的なものであるはずなのに、長く続かせよう、子々孫々にまで伝わるようにしようと企て、逆に言えば水の流れをせき止めてダムのような淀みを造り、自分(逹)だけがそのうまみを享受しようなどとする所から、様々な物事が腐り始めてゆくのです。
そうして腐った者どもは、いつまでも幸福でいられるはずもなく、いずれ破滅することを、老子は戒めているのでしょう。
いま西野監督は、優勝してもその後、辞任する、それぐらいの覚悟を決めているのではないかと思います。
サッカーワールドカップ2018ロシア大会。
サムライジャパンは二大会ぶり三度目の決勝トーナメント進出を決めました。
が、その決め方を巡って世界中で賛否両論がわき起こっています。
周知のとおり、グループリーグ最終戦のポーランド戦で、1-0で負けている状況でしたが、他会場でセネガルがやはり1-0で負けそうな状況、このまま負けてくれれば「フェアプレーポイント」で有利な日本が、試合で負けてもグループリーグは勝ち抜けるという、非常に微妙な状況でした。西野監督は、これ以上失点や反則ポイントを増やさないことを最優先し、残り10分を、攻撃せずパス回しに徹するという、無気力プレーに徹して、マイナスポイントを増やさずに、試合にわざと負けました。
そしてセネガルが1点も取れずに負けるという情報を待ちました。この賭けは当たって、日本の決勝トーナメント進出が確定したのです。
当然のごとく、日本国内だけでなく海外からも、批判の嵐がわき起こっています。
見苦しい、醜い試合。ワールドカップにふさわしくない。チケット代払った観客に失望を与えた。なにが「サムライ」だ。などなど。
擁護する意見もありますが、どちらが正しくてどちらが間違っているということはなく、どちらも至極もっともな意見だと思います。
重視したいのは、西野監督はすべて覚悟の上で決断したと思われることです。
賭けに勝っても大きな批判にさらされる。ましてや、もしセネガルが1点でも返したら日本のグループリーグ敗退が決まり、「ニシノ」とは「愚劣な選択をして関係するすべての人々を失望のどん底に叩き落した『永久戦犯』」の代名詞となったことでしょう。
監督就任したてのころの冷たい風当たりに戻るどころか、史上最凶の犯罪者であるかのようなレッテルを貼られる。
それもすべて承知のうえ、覚悟を決めてあの采配を振るったということです。
自分が監督だったら、あの判断をできないというより、思いつきもしなかったと思います。
あの「戦術」を思いつくというだけでも尋常な監督ではないです。
それにしても、あまりにも大きなリスクを冒してまでリーグ突破への道筋を付けようとした、そのこだわりは何なのでしょう。
「名監督」としての地位や名誉へのこだわりならば、あそこまで大きなリスクを取りはしないでしょう。すでに「奇跡の躍進」はして見せたのだから、リーグ敗退しても「大健闘」と称賛されるに十分でした。そうしたすべてが吹っ飛び、自分が処断されるリスクを冒した真意は?
「決勝トーナメント」という最高のステージに立たせることが、選手たちの飛躍のためであり、日本サッカーの向上のためになる、ということもあるでしょう。
同時に、西野監督の中では、ベスト16の中で最弱の日本が、「ワールドカップで優勝」するための戦略が、あ
るのではないかと思えます。少なくとも本気で優勝のための運営をするのでしょう。さらに、優勝しても、そのあと監督を辞任する覚悟も決めているのではないかな、と思えてしまいました。
「功遂げて身退くは、天の道なり」。
この場合は、まず監督として、チームを最大最高の場に押し上げ最高の試合をさせるべきという「天の道(道理)」があって、そのためにはわが身の保身はどうでもよく、とにもかくにも何かを成し遂げ、身を引くという流れが、
西野監督にとって抗(あらが)いがたい道と、直感してしまったのではないでしょうか。
以上、すべて個人的妄想かもしれませんが、この老子の素読プリントを作るタイミングとぴたりあって起きたできごとに、なんかやたらと感動しました。