(荘子 人間世(じんかんせい)篇第四―11)
門もなく毒(とりで)もなく、
宅を一にして已(や)むを得ざるに寓すれば、
則(すなわ)ち幾(ちか)し。
迹(あと)を絶つは易(たや)く、地を行くなきは難し。
人使(じんし)と為(な)れば偽(ぎ)を以(な)し易(やす)く、
天使(てんし)と為(な)ればれば偽(ぎ)を以(な)し難(かた)し。
有翼を以て飛ぶ者を聞くも、
未だ無翼を以て飛ぶ者を聞かざるなり。
有知を以て知る者を聞くも、
未だ無知を以て知る者を聞かざるなり。
彼の闋(けつ)を瞻(み)る者は、
虚室(きょしつ)に白(はく)を生じ、
吉祥(きっしょう)も止まるところに止まる。
夫(そ)れ且(は)た止まらず。
是をこれ坐馳(ざち)と謂う。
夫(そ)れ耳目に徇(したが)いて内に通じ、
而(しか)して心知を外(そと)にすれば、
鬼神も将(まさ)に来たり舎(やど)らんとす。
然(しか)るを況(いわん)や人をや。
是れ万物の化なり。
【大体の意味内容】
どこかへ逃亡するための門もなく、偏狭な自我を守る砦(とりで)もなく、
心の在(あ)り処(か)をブレさせずに統一する。
そうして人知の及ばない生命運動の原理に従えば、
それこそが生き方の完璧さに近づく。
引きこもれば、些細(ささい)なことでフラついてしまう自分の足跡を残さないこともたやすい。
とはいうものの、大地を踏まずに生きるのは難しいから、
自分の生きざまを隠し通すことはできない。
人使、つまり人に使われる者は虚偽を犯しやすく、
天使、すなわち天の意思に従うものは虚偽を犯し難い。
翼の有るものが飛ぶというのはよく聞くことだが、
翼無くして飛ぶというものは聞いたことがない。
知識の豊富さを以て、知者であること誇る者は多いが、
無知であることを以て知性の無窮(むきゅう)の広がりを認識するものはいない。
虚空(こくう)にさらされて生きる者は、わが心のわだかまりを虚(むな)しくして光を生じ、
至福の輝きである吉祥が心に宿る。
そのように心を虚(むな)しくできず、些細(ささい)なことで動揺してばかりいることを、
坐馳(ざち)、つまり肉体は坐っていても、心はじたばたと走り回って落ち着かないありさまというのだ。
(身体は歩いたり走ったりしていても、心は坐っているというありさまがよい。)
目に見、耳に聞く者をありのままに受け止めて精神に通し、
心の我執で解釈した知を棄(す)て去れば、鬼(おや)も神(かみ)もこぞりて心に宿るであろう。
まして人々からの信頼を寄せられないということはない。
これこそが「万物の化」であり、
吉祥による人心の感化を意味するのだ。
【お話】
政治の乱れた国へ赴(おもむ)いて、その国を立て直そうと決意する弟子に向けてアドバイスする孔子(こうし)(『論語』における主役の学者)の言葉です。
国王や人民に対してことさら教え諭(さと)そうとするのではなく、自分自身を虚(むな)しくして、まずどのように非道な行為や思想であっても、それらをありのままに聞き、見守って、受け入れることが大事だというのです。
その結果、どんなに重苦しいイメージがのしかかってきても、
まるで重力から解放されたかのように、翼無くして軽やかに心を飛翔させ、自分は無知蒙昧(むちもうまい)なるものとして彼らに教えを乞(こ)うべきであるというわけです。
こうしたとしても、すべてを受け入れる自分が、悪逆非道な彼らから認められるという保証はどこにもない。
結局は彼らを増長させるだけかもしれない。
そうであっても、虚心坦懐(きょしんたんかい)に彼らの魂の声、絶叫を聞き受け止めることで、
彼らの荒ぶる魂が落ち着きを取り戻し、
あるべき様に収まる可能性も出てくる。
あたたかな光に満たされて、多くの人々の本心が鎮(しず)まるかもしれない。
その一縷(いちる)の可能性に賭(と)する覚悟が必要だということです。
政治とは本来、こうしたしんどい仕事を引き受けることなのでしょう。