「『ダンデリオン』て『エヴァンゲリオン』のパクリだろ」と陰口叩かれていたようですが、実は『ダンデリオン』は40年ほど前、私が中高生のころ遊びで書いていた冒険物語の題名です(実物も教室内にあります。『エヴァ』の原作マンガが1994年開始ですから25年前)。
主人公がタイムスリップで様々な時代の波に翻弄(ほんろう)されながらも、その時その時の精一杯の花を咲かせていく、そんな筋でした。
「旅する花」→「蒲公英(たんぽぽ)」→「dandelion(ダンデライオン)」→「ダンデリオン」という流れで付けた題名。未完のままですが、いつか何かで使いたいなあと思っていたのでした。
たんぽぽの花言葉には「愛の神託」「誠実」「幸福」そして「別れ」があります。
「別れ」は、実は尊(とうと)いことでもあります。
これを「悲しいこと」として普段は忘れて過ごそうとしますが、今目の前にいる人、大好きな人、あるいは嫌な人、みんなといずれは「別れ」ますし、最終的には「死別」します。それを意識して、相手とできるだけ深く「出会う」ことを思い続けるのも「あり」ではないでしょうか。
四月は私にとって生涯の恩師と死別した月でもあります。
ちょうど桜が一片またひとひらと散る朝報(しら)せを受けて、
自分の人生が終わったような衝撃を受けました。
ですがこのことが、またその恩師との新たな出会いの始まりでもありました。
遺稿(いこう)論文集を出版するのに10年かかりましたが、解説を執筆するために深読みしたり、資料写真を撮るために全国を駆け回ったりして、先生の学的生涯を追体験(ついたいけん)する中でますます師の到達した高み深み、そしてその境地を誰にも知られなかった孤独とを知るようになりました。
そうした形で改めて、恩師と出会えましたし、また新たな縁も生じて様々な方々との出会いも一挙に増えた時期でもありました。
「別れ」は、そのつらさや悲しさを、我が存在すべてを賭(と)すようにして味わえば、この上なく深い、霊的な出会いにも昇華(しょうか)します。
こんな思いから、「ダンデリオン」を塾名にしました。
実は、つい最近まで照れくさくて自分ではこの塾名をなかなか口にできなかったのですが、今しだいに言えるようになってきました。
慣れもあるかと思いますが、FlyingSeeds(フライングシーズ飛び立つ種)を2度送り出し、ようやくかれらから「出会い」を承認された、そう錯覚できてきたので…