いわゆる「勉強の仕方」を私なりにまとめた『ダンデリオンロード』では、普段のサポートではなかなか話題にできなかった「感覚を磨く」ことに力点を置いてお話しています。自分の身体外部からの刺激に敏感になることばかりでなく、内側から沸き起こってくるものについても冷静に感じ取り、論理を超えた超合理性を身に付けようというものです。
例えば私自身、UFO現象は2度見たことがあり、山小屋の中で白衣の女性幽霊(あとで調べたら「座敷童」とほぼ同じ)を見たことがあります。そのときは興奮したり恐ろしさでしばらく落ち込んだりもしましたが、冷静になってから「実在するかどうかは証明できない。そうしたものを見たり感じたりしたことの意味は何だろう」と考えるようになりました。正解があるわけではありませんが、何か「異界からのメッセージ」を意識した生活をするのも悪くないなと弁えました。
小学生の息子との八ヶ岳登山。濃い霧がかかる山頂付近の岩場を歩いていて、このまま進むと虚空に突っ込みそうな「嫌な感じ」がしたので立ち止まり、重いザックをいったんおろして少し引き返してみたら、分岐点の別方向の岩にペンキで〇が書かれていました。そちらが正しいルートだった。あのまま進んでいたらやばかった。ゾッとなったこともあります。
中学時代の成績は学年で最下位争いの常連でしたが、3年時に「三平方の定理」を習った時に知ったピタゴラスのエピソードで「なんて美しい定理なんだ!」と感動してから夢中で問題を解くようになりました。指名されてある問題をみんなの前で解いたら、学年トップの秀才が腰を抜かしたことも…。自分でも頭の中の霧が晴れていく感覚の日々で、勉強自体が楽しくなりました。
一歳の娘を抱っこして水田地帯のなかを歩いていた時に、急に強い雨が降り始めました。ダッシュしかかって、立ち止まりました。なんだ、この音は!車両の騒音もなく傘もないから、幾千万か幾兆億かの雨滴が広大な水面を打つ音がもろに聴こえる。ほとんど無限数の水琴の交響楽です。どんどん濡れるのもかまわずそのまま立ちすくみ聴き惚れていました。娘もじっとしていました。
もの学びは基本、論理・合理性の世界です。けれどそのエンジンには感受性の豊かさがエネルギー源となるでしょう。物事の不思議さ、美しさ、カッコよさ、なめらかさやざらつき。感覚が情動を刺激し、感興を催してのめりこむ。知的好奇心に牽引され夢中になる。探求心も旺盛に駆動して、誰もが独自のテーマを追う「研究者」となってゆきます。大学教授だけの資格ではないのです。
感覚を磨け