12月号で書いた「ゾーンに入る」という事態の窮極ではないかと思いますが、26年前の1999年に始まった小説『水滸伝』(北方謙三作)の中で「死域」という言葉がよく使われていました。体力・精神力の限界を超え、ほぼ死線を彷徨うような情態でその人物の能力以上の力が発現する症状を表していました。北方謙三氏ご本人も、柔道修行に勤しんでいた頃にそのような経験をしたのを下敷きにしたそうです。私も一度だけ、中学時代に「死域」に近い経験をしました。
部活動終了時刻後に居残る駅伝選抜隊のトレーニングで「一時間走」というのを課せられたことがありました。うえーとなって私もみんなも暫くちんたら走っていたのですが、顧問の先生がやたらと怒鳴るし、私自身、なんとなくイライラしてきて、残り20分くらいかと思いますが、どこまで行けるか試してみようとぐんぐんペースアップしてみました。誰もついて来られなくなって「やめとけよ」という声も遠ざかる。無理ならぶっ倒れればいいやとスパートしたら、いつまでたってもスピードが落ちない。今日は調子いいな。まだ落ちない。もう苦しくなるだろう。太ももが勝手に上がってる。勝手に足が回転してる。え、なに、これ?スピードが上がる。ほぼ全力疾走。止まらない。俺じゃないよ、これ、誰だよ。顧問の先生の呆れ顔。あれか、踊りやまない靴を履いた少女の話か?絵本で読んだ。顧問のひきつった顔。斧で足を切られる結末。俺は?死ぬのか。 「終了」の号令。多分、早めたな。みんなぶっ倒れてる。「俺」も「ゴール」と念じ、余走を経て減速、止まれました。顧問とどんな話をしたか覚えてません。その後「一時間走」は二度とありませんでした。
「死域」とは穏やかでありませんが、この語を見るとあの時を思い出します。自力では生還できなかったかもしれないという恐怖にも似た快感と共に…
受験生に「死域」を勧めるのではありませんが、ゴールしたらぶっ倒れる覚悟でがむしゃらにスパートしてみる、という経験はしてみてもいいのではないかな、そんな気がしています。一度通過してしまえば、「ゾーンに入る」というレベル、何度か往来できます。寝食を忘れて勉強する、ものを書く。何かやばい状態に追い詰められた時こそ、燃えてくる。「右か左か迷ったら、辛い方へと進め」は諾なるかな!後悔しないし、元気になる。
「逃げる」ことを否定はしませんが、せっかく始めたゲーム、逃げてばかりじゃ楽しくないでしょう。 人生を 楽しく生きる 死域にて なんのこっちゃ。
『死域に入る』という生き方