小中学生のころ、金曜夜8時は全身を火照らせながらアントニオ猪木のプロレス中継を見ていました。世界中に放映されたボクシングヘビー級チャンピオンモハメド・アリ戦は「世紀の凡戦」と酷評されましたが、「命がけの真剣勝負」として私の心に刻まれています。
余りにも多くのことを成し遂げ、またやらかした豪傑の79年間。特筆したいのは、イラクのクェート侵攻時の「人質解放」です。1990年8月に侵攻が始まりクェートにいた日本人約300名が人質として、また戦略拠点の「人間の盾」として分散配置されました。人質解放より国際貢献の評価ばかりに執着する政府を尻目に、参議院議員一年目の猪木の「闘魂外交」が始まります。単身バグダッドに乗り込みフセイン大統領の息子ウダイと交渉、友好関係構築のため「平和の祭典」というスポーツ交流イベント開催を提案します。人質たちには「日本食もって何度でも来る、必ず」と熱く約束して帰国。この間当時の海部俊樹首相はヨルダンの首都アンマンでイラク副首相と会談する折角のチャンスを得ながら「武力による他国への侵略は容認できない」(どこかで聞いたセリフ)を繰り返すばかりの無能ぶり。人質解放のやる気なしです。11月に猪木は人質の奥さん達「あやめ会」を連れて行こうとしますが、政府方針に逆らう者として妨害工作を受け飛行機が取れない。そこでトルコのオザル大統領の協力でチャーター便を回してもらいヨルダンに飛んだというから凄い!12月バグダッドで「平和の祭典」を開催し成功させます。サッカー、ロックコンサート、空手、プロレスなどテレビ中継し、3万人以上の大観衆を集め、イラク国民に感動を与えたそうです。これは各地に分散していた「人間の盾」をこの場に集めたという成功でもあり、奥さん達と対面させ、さらにフセイン親子への交渉を畳みかける。予定の帰国便はキャンセルです。退路を断って挑戦し、遂にフセイン大統領はイラク国民議会を招集。日本、アメリカ、イギリスなどの人質全員の解放を決議した!これで日本政府も掌を返し政府チャーター機をヨルダンに飛ばし解放された人質一行を迎えます。ところが「人質と家族だけが乗れる(=猪木は乗せない)」などという愚かな意趣返しをする。即座にあやめ会も人質達も、チャーター機搭乗を拒否しました!日本政府の陰惨な圧力より猪木の恩義に報いようと結束したのです。泣けます。邪悪な政府は観念し猪木も乗せて全員無事帰国となりました。誠意と情熱の「燃える闘魂」外交、アントニオ猪木は、本当のヒーローでした。