松尾芭蕉「幻住庵記」7
かくいへばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡をかくさむとにはあらず。
やや病身人に倦(うん)で、世をいとひし人に似たり。
つらつら年月の移こし拙き身の科(とが)をおもふに、
ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは仏籬祖室の扉(とぼそ)に入らむとせしも、
たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労して、
暫く生涯のはかり事とさへなれば、終(つい)に無能無才にして此一筋につながる。
楽天は五臓の神をやぶり、老杜は瘦(やせ)たり。
賢愚文質のひとしからざるも、いづれか幻の栖(すみか)ならずやと、おもひ捨てふしぬ。
先(まず)たのむ椎の木も有夏木立
【大体の意味内容】
こう言ったからとて、ひたすら閑寂を好み、山や野に隠れてしまおうというのではない。
すこし病身のことではあり、人とのつきあいがわずらわしくて、世間から離れているといったところである。
つくづくと、愚かな自分のあやまち多い、来し方を振り返ってみた。
ある時は大名に仕えて命がけで守る土地を得た者をうらやましく思ったこともある。
またある時は仏門に入って僧侶になろうかと思いもした。
ただ行方定めぬ旅の風雲に身を苦しめ、
花鳥風月に恋煩いしてきた。
しばらくは自分の生活の手段ともなったので、とうとう無能無才のままこの俳諧一筋につながれてきてしまった。
白楽天は詩のために五臓の働きを破るほど苦しみ、
杜甫もまた詩のために瘦せ果てたという。
この人たちは賢人で詩才に富み、私は愚者で文才もなくまったく雲泥の差に立ち尽くすしかない。
しかし人間は誰もが、仮の世に幻の生を受け、たゆとうているだけである。
ぜんたいどこに幻の住み処でないところなどあろうかと、
思いあきらめて寝るのであった。
なにはともあれ、頼みとすべき椎の木があるではないか、旅に疲れたこの身を休める木陰為す夏木立が
【お話】
「罔両」のキーワードで荘子の場面の画像がないかなとネットで検索してみたら、山下和也さんという方の「罔両画」に出くわしました。
仏画等の模写や美術品の修理などの仕事を経て、「破墨」という技法にたどり着き、神楽舞の女性舞踏家とのコラボをするなど、興味深い活動をしている人です。
その「罔両画(極端に薄い墨で描く絵)」のいくつか、「松風」「須磨」の連作を見ていると、
「須磨」の一枚に衝撃を受けました。
もともと、
「模写や修理をしている君の絵は『作品』ではないだろう」
と否定されたことへの違和感から追究が始まったそうです。
オリジナリティーは捨てて模写をすることから、その模写という絵から出るオーラがあるではないか。
そんな疑問を持ち続けており、自分の仕事に卑屈な感情は持てなかったようです。
すでにして、人間の影のそのまた罔両にこそ、その作品の「格」を決定づける力があることを感じ取っていたのでしょう。
そうした必然に導かれるようにして、山下さんは「罔両画」に出会ったようです。
別に『荘子』の内容はご存じない様子でしたが、図らずも荘子の思想を実践なさっているのです。
一見、ただの白い紙にしか見えない連作「須磨」のこの一枚、皆さんはどう見えますか?
作者に聞いたわけではありません、
私には白い闇にたゆとう海、そのうえにおぼろに浮かぶ満月が見えました。
何が見えてもよいのだと思います。
この絵は、私たちの心が映るスクリーンなのでしょうから。