ちんたら努力し続けよう

(校舎だより『FlyingSeeds』1月号より)

 かつてラジオの「子ども電話相談室」で聴いた、宇宙担当の先生の見事な回答を時々思い出します。(子供)「流れ星に3回願いごと言ったら願いが(かな)うって本当ですか。」(先生)「…流れ星、見たことあるの?」(子供)「あります。」(先生)「一瞬だよね。」(子供)「はい。」(先生)「あんな短い間に願いをいえるとしたら、そのことをいつもいつも思ってるからだよね。」(子供)「はい。」(先生)「そこまで思い続けている人の願いなら、きっと(かな)います。」(子供)「はい。わかりました。ありがとうございました。」

 きっと、この子のハートに火がついたな、そう思いました。いや、正直に言います、自分のハートに火がつきました。願い事は、自力で「(かな)える」とは限らず、やはり何か大いなる力によって「(かな)う」もの。だけどそのためには、神様がいい加減根負けするほど強く思い続けることが肝心だと… それならば特別才能も素質もない自分にだってできるはずだ。精神力が強いということでもないから、「努力の天才・達人」と言えるほどの努力もできてないけれど、努力するふりならばできる。とにかくそうやって願い事をずっと捨てずに思い続けよう、自分なりに、ちんたら努力し続けよう。 そう割り切れたような気がしました。

 面白いことに、何か不運な目に()ったり、不承不承引き受けた仕事にほぼすべての労力を傾けたり、何か追い込まれたりした時に、かえってそれがきっかけとなって、願っていたことが少しずつ叶ってしまってきています。自分で塾を開く、ということもその一つなのでした。

 2020(令和2)年はふつうに考えて最低の年でした。幸福とは相容(あいい)れない色の淵に沈んだ一年間で、2021(令和3)年新年を迎えてもそれが急に変わるという状況ではありません。が、願い事を思い続けるのはまさに今なのでしょう。今をどう思い続け、努力してゆくかで、思いがけず願い事が(かな)ってしまう転機の期間なのだと思います。

 今年の受験生の中からも、すでに「努力の天才になった」と言える人が何人も生まれています。まだの人も、自分の願いを強く思い続けてください。それが大事です。
 受験それ自体は人生のゴールではありませんが、良い転機にはなるのだなと、毎年思います。努力することが嫌でなくなり、むしろ新しいステージへと上がってゆく楽しみや喜びを味わうチャンスと感じられます。どんな試練も怖くはない、楽しく豊かな人生となります。
 ちんたら続けよう。