心の邪正、気の強弱は

(授業前の素読 言志録5)
心の邪正、気の強弱は、筆画之を掩(おお)うこと能わず。
喜怒哀懼(きどあいく)、勤惰(きんだ)静躁(せいそう)に至りても、
亦皆諸(これ)を字に形(あら)わす。

一日の内自ら数字を書し、以て反観せば、亦省心の一助ならむ。

名を求むるに心有るは、固(もと)より非なり。名を避くるに心有るも亦非なり。

【大体の意味内容】
心が邪(よこしま)であるか、正しいか、また気力が強壮であるか、貧弱であるかは、筆蹟に現れるものだ。
いくら見栄を張っても、書いた字に現れてしまうものを覆い隠すことはできない。
また喜びや怒り、哀しみや懼(おそ)れということ。
勤勉、怠惰、冷静、喧噪(けんそう)に至るまで、そうした精神状態はすべて字に現れてしまうものである。

故に一日の内、自分で五、六文字でも気を鎮めつつゆったりと、魂を込めて書きなさい。

この修行を通じて文字が発するものを見直せば、
自分自身を省みて、居住まいを正す一助ともなるであろう。

我が名を立てようという志を持つのは良いが、もとより邪心があってはならない。
逆に有名になることを、無理に避けようとすることも、決して良いことではない。
(私利私欲によらず、世のため人のために全力を尽くせば、自然と結果は出てくるものだ。)

【お話】
人に「人格」、つまりその人の立派さや精神的な大きさ、魂の美しさとでもいったような雰囲気があるように、書いた文字にも「書(しょ)格(かく)」といったものがあると聞いたことがあります。

確かにそうだと思います。

文章にも、「文格」があると思います。

ほか様々なことにも「格」を認めることはできそうですね。

その人の声の「声格(せいかく)」、話しぶりの「話格(わかく)」、描く絵の「画格(がかく)」、姿勢や挙措(きょそ)ふるまいの「身格(しんかく)」、などなど。

そうした様々なことの背後には、おそらく「霊格(れいかく)」とでもよぶべき、その人の霊魂の味わいがあるのでしょう。

自分の書く文字を錬るというのが、先ずはとてもいい人格修行になると思います。

素晴らしい書を書く先生方が共通しておっしゃること。

「上手下手はどうでもいい、丁寧に心を込めて書くことが大事」です。

なるべくなら鉛筆の持ち方を改めて(お箸の持ち方と同じになるように)、腰骨を立てて、呼吸を深くして、
一文字一文字、魂を込めて書きましょう。
「霊格」を鍛錬(たんれん)するつもりで。

「千日の稽古を『鍛』とし、万日の稽古を『錬』とす」(宮本武蔵)。