精神を収斂して、諸を背に棲ましむべし

(授業前の素読 言志四録3)

面(おもて)は冷ならんことを欲し、背は煖(だん)ならんことを欲し、胸は虚ならんことを欲し、腹は実ならんことを欲す。

人の精神尽(ことごと)く面に在れば、物を逐(お)いて妄動することを免れず。
須(すべか)らく精神を収斂して、諸(これ)を背に棲ましむべし。

方(まさ)に能く其の身を忘れて、身真に吾が有と為らん。

【大体の意味内容】
頭は冷徹であることを欲し、正確な判断をしようとする。
背中は温暖であることを欲し、構想を雄大に広げようとする。
胸は虚心坦懐であることを欲し、多様な人材や、異見を受け入れようとする。
肚(はら)には気が充実していることを欲し、肝(きも)が据わって豪胆であろうとする。

人の精神が頭に集中しすぎると、目の前の物ごとにばかり気を取られ、かえって本質を見失い、惑(まど)い迷った行いに堕してしまうものだ。
本来、精神は散漫な状態ではなく、一本の柱の様に収束させ、それが背骨になったと感得して背中に収めるべきだ。

その精神の柱に貫(つらぬ)かれて、吾が肉体を忘れてしまったところに、真の吾が身体が立ち現れるのである。

【お話】

 電車通勤していたころの冬に、一つの楽しみがありました。窓際に座って首筋に太陽が当たると、凍えた体の背骨全体が温められ、身体の中心の存在がとても心地よく際立ってきました。

これほどの快感があるだろうかと思うほど気持ちよかった。

そうしていると、およそ心配事とか不愉快なこととかのマイナス感情全てが熔解(ようかい)し、深い安心感のもとでリセットされてしまうのです。

また「頭寒足熱」とはよく言ったもので、東海道線の古い車両だと、天井からの暖房は無く、座席のシートが熱せられて、そのシートの下から熱気が吐き出されるので、
ちょうど、頭は冷たいままで、おしりとふくらはぎが温められる格好になり、加えて日光で背骨が温められるともう、えも言われぬ心地よさなのでした。

「寒い冬よ、ありがとう!東海道線感謝!」でした。

が、今はもう新型車両になった東海道線は天井からの冷暖房完備で、シートが温められることもなくなってしまいました。残念!

今回の文章、身体各部の健康法と、精神の整え方とが、分けられることなくひとつに論じられているのが興味深いです。
具体的な身体の修め方と結びつけた精神論ですから、「死ぬ気でやれ!」とか「心魂徹すれば岩をも砕く!」などといった、無責任で抽象的な「精神論」とはおのずから一線を画すものと思います。

皆さんも、「こうしている時の身体(からだ)がチョー気持ちいい!」という状況はありませんか?
そういうのをぜひ大事にしてください。
そういうのを感じ取る感覚を、磨(みが)いてください。