校舎だより『FlyingSeeds』8・9月号より
大往生を遂げた伯母を荼毘に付すときのこと。隣の窯の前に小さな、本当に小さな棺桶があって、それを抱きかかえ血を吐くように号泣する若いお母さんの姿がありました。茶髪のお父さんがその肩を支えるようにして、涙をこらえていました。周囲にほかの遺族もなく、おそらくは赤ちゃんであろう亡骸に寄り添うのはその若い二人だけ。
その光景は私の胸に深く突き刺さって、もう、生涯抜けないのだろうと思われます。
しばらくして遺族と思われる方々が多数なだれ込んで、誰もが目を赤くしながら母親を支え始めたので、「そうか、あの両親は、霊柩車に一緒に乗り込んだのだな」と分かりました。
母、父にたくさん抱かれるべき赤ちゃんが、全く不十分なまま、これから一人で身を焼かれる。傍で見ている者にとっても身を削がれるようなキツい風景。凄絶な孤独、こんなにもすさまじい孤独があるだろうか、そう考えて、さらにやりきれない場面を思ってしまいました。
「親に殺された子どもの火葬とは、いったいどんな絵になってしまうのか。」
せめて泣きながら見守る親、もない、その親は警察に拘束されている。「絶句」という言葉がありますが、イメージも想像も絶してしまうその状況をなんと形容すべきか、かえって胸に刺さるキツささえ、わからなくなります。
親の虐待とか、育児放棄とか、それで小さな子どもが死んでしまったという報道に接するたびに、そのたびに何度でも思いだしてしまいます。
3歳の娘を部屋に閉じ込めたまま鹿児島へ「旅行」し、幼子を死に至らしめた母親を非難するのはたやすい。が、彼女を非難バッシングすることでこうした悲劇を根絶するとか減らすとかは、おそらくはできません。「旅行」するなら子どもを近所に預ける、預けた親は後でお礼する…。私が子どものころには普通にあったことでした。子どもは地域社会の子どもであって、親の私物ではありませんでした。みんなの宝でした。地域を頼ることは、決して無責任なことではありませんでした。 現在、「自己責任」の名のもとに、かえって子どもの「私物化」へと、道を踏み外してしまうケースも増えてきたかと思われます。それは「愛用」し、「消費」してしまったと思ったら、「処分」できるというマインドにも、つながりかねません。