天に登り霧に遊び、無極に撓挑(じょうちょう)し

(荘子二十六 大宗師篇第六)

子桑戸(しそうこ)・孟子反(もうしはん)・子琴張(しきんちょう)、三人相い与(とも)に語りて曰く、
孰(たれ)か能く相い与(くみ)することなきに相い与(くみ)し、相い為すことなきに相い為すや。
孰(たれ)か能く天に登り霧に遊び、無極に撓挑(じょうちょう)し、相い忘るるに生を以てして、終窮する所なきやと。
三人相い視て、心に逆らうこと莫(な)く、遂に相い与(とも)に友たり。
莫然として間ありて、子桑戸死す。
孔子、子貢をして往きて事を待たしむ。
或いは曲(むしろ)を編み、或いは琴(きん)を鼓(なら)し、相和して歌う。
嗟来(ああ)、子桑よ、而(なんじ)は已(すで)に其の真に反(かえ)る、而して我は猶(な)お人たりと。

【大体(だいたい)の意味(いみ)内容(ないよう)】
子桑戸と孟子反、子琴張の三人が語り合った。
「特にコミュニケーションをとろうとはしないまま、深い交わりをかわせる人がいるだろうか。
おためごかしに親切を押し付けることなく、本当の思いやりをかけあえる人はいるだろうか。
天に登って、まるで霧のように無限の虚空(そら)を巡り遊ぶ人は?

限りある生を忘れて、窮(きわ)まりのない遊働世界に融和する者がいるだろうか。」
三人は互いを見て、心から打ち解け、そうして友となった。
それからしばらくの時が過ぎて、子桑戸が死んだ。
これを知った孔子(こうし)が、弟子の子貢を葬儀の手伝いに遣(つか)わした。
(ところが孟子反と子琴張の二人は、)一人が蚕棚のすだれを編み、一人が琴を弾いて、声を合わせて歌っていた。
「ああ、子桑よ、君はもはや君の『真』に還(かえ)った、我々はいまだ人である」と。

【お話】
来週に続きます。

この場面のラスト、『論語』という「宇宙第一の書」の主人公で偉大な学者の孔子が、門人の中でもやくざ上がりで腕っぷしの強い子貢を葬儀の手伝いにやるシーンがありました。

子貢としては、葬儀のあとで子桑戸の亡骸(なきがら)が入った棺桶を担(かつ)いで埋葬場所へ運ぶつもりでいたのでしょう。

が、着いてみると、厳粛な葬儀が行われているどころか、
二人は友の遺骸を放置したまま生糸づくりの準備作業や、琴を弾いたりしながら意味不明な歌を歌っている… 

「は?」と目が点になる子貢。

「それって、この郷(さと)での礼儀作法なんすか?」
と聞きますが、二人は顔を見合わせて笑うと

「この男に『礼』の何たるかなど、わからんな」とつぶやくのです。

子貢は孔子のもとに帰ると、興奮してまくしたてます。
「先生!奴(やつ)らいったい何なんすか!?礼儀知らずで、友が死んだってえのに悲しんでる感じじゃねえです。
死骸(しがい)の前で歌なんか歌ってやした! なんなんすか、奴ら!」 

さすがの孔子も(あちゃあ、この男をやったのはまずかったか)と後悔して、彼らの境地について説明します。

それについては来週また。

私がダンデリオンを始める前、前職の教室に最終出勤した日のことを思いだします。

その日の教室の様子は、なんだか、自分の葬式を見てる感じがして、不思議と楽しかったのです。

ちょうど公立入試の合格発表の日でした。

一人だけ不合格者が出てしまいましたが、彼は一番乗りで教室へ来てくれて、全力を出しきったから悔いはないと、真っすぐな表情で伝えてくれ、他の合格者たちが来る前に帰っていきました。

なんというか、見事でした。

その後ろ姿に頭(こうべ)を垂(た)れるしかありませんでした。

合格者たちが集まり、私の退職の日でもあったので卒業生たちや保護者達もパラパラと教室を訪れてくれ、
久しぶりにかつての仲間と再会したので、私にお花とか小物とかを供(そな)えたあとは、
教室や廊下のあちこちでみんなワイワイきゃあきゃあと勝手に花を咲かせ旧交(きゅうこう)を温(あたた)めています。

お葬式の場が、実質的にはちょっとした同窓会場になり、パーティーの趣(おもむき)も呈(てい)しますよね、
ちょうどそんな風景でした。

で私はというと、合否状況を本部に報告するために入力したり、合格体験記を書いてもらって入力したりと、
ずっと仕事仕事の一日。
まあ、誰の相手もしないけれどみんな楽しげにこの空間で過ごしている、妙に幸せな気分でした。

こうして、子どもたちや、保護者という戦友たちが集まってくれて、
それぞれ思い思いに楽しく盛り上がってくれている、

これこそが本当の「お経(きょう)」なのかもしれません。

本当の「供養(くよう)」なのかもしれません。