(荘子二十四 大宗師篇第六)
古の真人は、生を説(よろこ)ぶことを知らず、死を悪(にく)むことを知らず。
其の出づるに訴(よろこ)ばず、其の入るに拒まず。
翛(ゆう)然(ぜん)として往き、翛然として来たるのみ。
其の始まる所を志(し)らず、其の終わる所を求めず、
受けてこれを喜び、忘れてこれを復(かえ)す。
是をこれ心を以て道を揖(あやつ)らず、人を以て天を助けずと謂う。
是をこれ真人と謂う。
然(か)くの若き者は、其の心は忘れ、其の容(すがた)は寂(しず)かに、其の顙(ひたい)は厚し。
凄然として秋に似、煖(けん)然(ぜん)として春に似て、喜怒は四時に通ず。
物に与(おい)て宜(よろ)しきを有(たも)ちて、其の極(きわみ)を知ることなし。
【大体の意味内容】
むかしの真人は、生を悦(よろこ)ぶということを知らず、死を憎むということを知らなかった。
この世に生まれ出たからといって、はしゃぎまわることなく、冥府に入るのを拒みもしない。
悠然として去り、悠然として現れるのみである。
己が生の始まりを知らず、死んでどうなるのか、最終究極のところを知ろうなどともしない。
生を享(う)けてはこれを楽しみ、やがて己が人生を忘れ、生を元へ返す。
こういう境地を「自分一人の心で、舟を操るように道の原理をコントロールしようとはしないもの。人間の浅知恵で天地自然を保護しよ
うなどとしないもの」というのである。
このような境地に到達した者を、真人というのである。
このような人は、その心は万事を忘れ、その姿はまことに静かなたたずまいで、その額は豊かに大きい。
凛とし涼やかさは秋の様であり、柔らかな温かみは春の様である。
喜怒哀楽の感情の移ろいは、四季の移り変わりのような、永遠のめぐりに通じている。
あらゆる物ごとと調和を保って、窮極というものを知らず、無限の宇宙に遊んでいるのである。
【お話】
「人間はいつか死ぬ」ということを、幼稚園児の時に知りました。
といっても、身近な誰かが亡くなってその遺体を見たとかいうことではなく、知識としてでしたが。
いつかは永遠の眠りについて、永久に目ざめることはない、何も思いだせず、何も考えず、何も見ず、聞こえず、においも味も、痛みと
か空腹感とかも何もない状態が永久に続くということを、母親から教わって衝撃を受けました。
また何かに生まれ変わるのかといったことを聞いたと思いますが、それもないと即否定され、絶望に打ちひしがれました。
今、あれこれ思いを巡らせていること、寝ている間に様々な夢を見ること、そうした「思考」そのものも永遠にできなくなるということ
が、どうにも理解できず、当然ですが実感もできず、いつか自分がそんな状態になるとは、なんとしても信じられず、激しい恐怖に見舞
われました。
夜、布団の中に入ってからもなかなか寝付けず、布団を噛みながら、泣きながら考えていました。
「死」という、巨大な岩石のようなものに押しつぶされる自分を想像してしまっていました。
そのまま、何も考えることができなくなり、どこへ行くかもわからないなんて、なんて理不尽なことか、
そんな目に遭うならなんで生まれてきたのか?
そういえば生まれる前は僕はどこにいたのか?
父母も生まれる前があった、父母は生まれる前どこにいたのか? その頃の僕はどこにいたのか?
次々に疑問がわいてきました。
確かに、何も「思いだせ」ない!
ギリギリと布団を噛みながら必死に思いだそうとしました、
「父母(ふぼ)未生(みしょう)以前の自己の真面目(しんめんぼく)」を。
禅問答にこのような課題(公案)があることを長じてから知りましたが、
幼稚園児の私は毎日夜が来て寝るときになると、重苦しい気持ちで泣きながら、この公案について考え続けていた、ということになるわけです。
せめて、生まれるときのことくらい思いだせないか。
自分はどこからどうやって生まれたのか?
でもそれも思いだせませんでした。
自分の子どもが生まれるとき、なぜだかどうしても、立ち会わなければならない気がして、立ち会いました。
分娩室に通されたとき、それはすでにウンコの様な肉塊として現れ始めていました。
数秒を経て、赤ん坊の顔だとわかりました。安らかな死に顔の様でした。
やがて体幹部も現れ、早送りで植物の生長を見るみたく、めりめりと茎から葉っぱがはがれるように、右手となり左手になりました。
「同じなんだ」と思いました。
こうして全身が吐きだされそれが「ぎゃあ」と鳴ったとたん、自分の本体が、それへ移ったのを感じました。
自分の誕生は「思いだせ」なかったのではなく、今追いついたのだ、「未来の記憶」に。
このために私自身の誕生やそれ以前の記憶が封印されていたのだ。
この子や孫にとって、私が「父母未生以前の自己の真面目」であり、私自身の「父母未生以前の自己の真面目」も反映している。
生命はこのように連続する。
自分の生き方や生きざま、責任重大だ!
そういえば、たまたますれ違っただけの人に妙に既視感を覚えることもあるのは、前世でかかわりがあったのかもしれませんよ。