知の能く道に登仮するや

(荘子二十二 大宗師篇第六 )

何をか真人と謂う。
古えの真人は寡(とぼ)しきにも逆らわず、
成(さか)んなるにも雄(ほこ)らず、
士(こと)を謀らず。

然(か)くの若(ごと)き者は、過てども悔いず、当たれども自得せざるなり。
然(か)くの若(ごと)き者は、高きに登るも慄(おそ)れず、水に入るも濡れず、火に入るも熱からず。

是れ知の能く道に登仮(とうか)するや、此くの若し。

古えの真人は、其の寝るや夢みず、其の覚むるや憂いなく、其の息するや深深たり。
真人の息は踵を以てし、衆人の息は喉を以てす。

其の耆(し)欲(よく)の深き者は、其の天機も浅し。

【大体の意味内容】
いったい何をもって、真人というのか。

むかしの真人は、貧しい境遇にあっても、そこから脱出しようと企てず、運命に逆らおうとはしなかった。
逆に繁盛していたとしても、それを誇ることはせず、何事につけ謀略を張りめぐらせたりはしなかった。

このように、天の計らいと一体化している者は、たとえ過失に見舞われても己の生き様を悔いることはない。
何かに成功しても、自分の手がらとしてうぬぼれることもない。

こうした境地にある者は、高い処に登っても、目がくらみ恐れ慄(おのの)くことがない。
水に入って溺れることなく、火に入っても熱さを感じない。
このことは、知性が、小さな個人の賢しらにとどまらず宇宙の大原理にまで登りつめ、
仮面と本体とが融合するようになればこそ、実現する。
むかしの真人は、眠るときは夢を見ないほどに深みへはまり、目覚めて現実生活の厳しさに直面してもそれへの憂いなく、呼吸するのも

静かで深い。
真人の呼吸は、踵(かかと)で行う深いものだが、
一般の人々の呼吸は喉(のど)で行う浅いものだ。
ちっぽけな我欲ばかりが深い者は、人として本来備わっているはずの天機、すなわち宇宙的意思の働きは、浅い。

【お話】
順境にも逆境にも動じず、大手柄を立てても驕(おご)ることなく恬淡(てんたん)寂莫(じゃくまく)に休する趣のヒーローは、日本には実

は少なくありません。最近ではすっかり流行語になっている「笑わない男」稲垣啓太選手がすぐ思いだされますね。彼のことも詳しく調

べてみたいと思いますが、
子どもたちのヒーローで元祖「笑わぬ男」と言えば、やはり「ウルトラマン」ではないでしょうか。

鞍馬天狗や月光仮面は、「覆面」で表情を隠しており、黄金バットは表情は変わらないが常に笑い続けている… 

まぎれもない自分の顔で、表情に変化のないヒーローの嚆矢(こうし)がウルトラマンかと思います。

当時の子どもたちにとっていろんな意味で衝撃的でした。
異世界からやってきた超人(ウルトラ・マン)が、普段は非力なひとりの人間として生活し、危急の時に変身(=本性示現)し、命がけで

怪獣と闘う。

怪獣を倒してもそれで威張ったりガッツポーズを取ったりするのではなく、
まるで反省しているかのようにうつむいてから、ふと天を見上げて夕日のかなたに飛び去る。
哀愁すら感じさせるその後ろ姿に、子どもたちは(私も)本当に参ってしまい、しびれてしまいました。

社会現象にもなった『ウルトラマン』は、同時に様々な批判にもさらされました。
悪化する地球環境が生んだ怪獣を一方的に退治することが本当に「正義」なのか。
怪獣との戦闘で破壊されたビル群をだれが弁償するのか、
なぜさっさとスぺシウム光線でやっつけないのか、等々。
ませた口調で大人のロジックを受け売りする子もいました。

でもそうした議論を凌駕するほどの魅力が、あの能面の様なヒーローにはありました。

大学に入って、まさかウルトラマンの産みの親に出会うとは思いませんでした。
しかも私にとっての生涯の師になろうとは…

恩師上原輝男先生は、いわゆる有名人ではありません。知る人ぞ知る天才学者で、ラジオやテレビに出ることもありましたが、
頑固一徹、ダメだと思えば番組制作者を容赦なく粉砕するので、煙たがられて有名にはなれませんでした。

そんな上原先生が、沖縄からやってきた意気軒昂な少年、金城哲夫には目をかけていて、
創作の世界に進もうとする彼に、特撮の円谷英二氏を紹介しました。
円谷プロで怪獣番組を制作しつつ頭角を現した金城哲夫が、やがて「ウルトラマン」を創りだしたのです。
上原輝男の「心意伝承」学のエッセンスを取り入れて。

従来のヒーローとは異質で特異な存在を造形した金城哲夫と、彼を指導した上原輝男が、
その後の日本人にとっての英雄像の原形を世に敷いた、といっても過言ではありません。

けれど上原先生はおっしゃいました。

「創作などくだらん! 
我々が作ったのではなく、遥かな昔から受け継がれてきた深くて長い心意を、偽りなく再生できたら、
それが人々に受け入れられて名作となっているにすぎない。

自分ひとりで作りだしたなどと思いあがるのは、愚の骨頂だ!」と。