(荘子 養生主篇第三―8)
吾が生や涯あり、而して知や涯なし。
涯あるを以て涯なきに随う、殆(あや)うき已(のみ)。
已(のみ)にして知を為す者は殆うきのみ。
善を為さば名に近づくことなからんや、
悪を為さば刑に近づくことなからんや。
督に縁(よ)りて以て経(つね)と為さば、
以て身を保つべく、
以て生を全うすべく、
以て親(身)を養うべく、
以て年を尽くすべし。
【大体の意味内容】
私たちには生涯、つまり生命の涯(がけ)という限界があるが、
知性にはそのような涯はない。
限りある身でありながら、無限のことを追い求めるのは、危ういことだ。
ひたすら理知でものごとをコントロールしようとすることは危険極まりない。
善行に勉めれば、名誉に近づくであろう。
悪行を為せば、刑罰に近づくであろう。
(理知的に計算ずくで名誉や刑罰を受けることは、真逆のことの様でいて実は両方とも自然の道理に反した危険を伴う。
子どもを溺愛して自分の思いどおりにすることと、虐待することとは、
両方とも子どもを自分の好きにできる所有物とみなしている点で、同じ危険な心理から来ている。)
身体の中枢神経を「督(とく)」というが、
表面的な善悪に偏らず、深い中枢の「督」に従うことを常とすべきである。
それによって身体を安全に保つことができるし、
人生を全うすることもできる。
さらに心身を養生することにもなり、
本来の寿命を尽くすことができる。
【お話】
岩手県の大船渡高校野球部で、最速163キロの速球を持つエースピッチャー佐々木朗希選手が、甲子園出場をかけた県大会決勝に出場せず敗退したニュースが、日本中に衝撃を与えています。
猛暑の中の連投になってしまうことで、監督さんの判断で起用しなかったとか。非難、憎悪の的になることを覚悟の上での決断だったようです。
私は基本的に大賛成です。
PL学園の桑田投手(巨人入団)や横浜高校の松坂投手(西武ライオンズ)の連投を見ては、プロでの選手生命は長くないだろうと想像はつきましたし、この件についてはアメリカの様な投球制限を設けるべきだとずっと思っていました。
だから、今はまだ、見るからに筋骨(きんこつ)の出来上がっていない、佐々木投手の華奢(きゃしゃ)な体を守ろうとした大船渡高校の国保陽平監督の「英断」には、称賛を惜しみません。
ただ、甲子園大会というハイレベルなステージでの経験は、どの選手たちにとってもその後の人生への貴重な資源となることも否定できません。
将来はおそらく日本のプロ球界、そして大リーグで活躍するであろう佐々木投手にとっても、高度な経験を積むことにはなったはずです。
それだけに、県大会や甲子園大会の過密スケジュールの改善が望まれます。
高野連や、関連企業の利権を守るためにアスリートを護ろうとしない強欲な大人たちには猛省を促したい。
国保監督は米国アリゾナ州のサマ―リーグ(選手として自分を売り込むチャンス)に参加した経験を基に、選手を守る思考法を身に付けたそうです。
いつまでも動かない高野連とは別に、今後は独自のルールを設定し、高校生の身体を護る起用法で大会に臨み、禍根を残さない形で勝ったり負けたりしてほしい。
肉体を壊さないことも大事ですが、ひりひりするほどの熱い勝負に完全燃焼したいという心を潰さないことも肝心。
荘子の言う、中枢神経としての「督(とく)」は、肉体的なものだけでなく、魂の中枢をも表すようなものとして表現されていました。
若者たちの魂魄(こんぱく)(精神と身体)の「督」を監(かんが)み、それを最大限に発揮させること。
それこそが「監督」としての率先垂範になるのでしょう。