今年4月12日の、東京大学入学式の祝辞がネットで評判になりました。社会学者上野千鶴子氏の、静かで毅然(きぜん)とした語り口とは裏腹のセンセーショナルな内容に、テレビのワイドショーなどでも盛んに取り上げられました。が、誰もかれも、前半の「女性差別」社会への警鐘の部分について「別にそこまで言わなくても」(山口真由)、「女の幸せについて語るべき」(玉川徹)、「差別に対してどう戦うか語っていない」(木村太郎)などなど、つまらない批判が溢(あふ)れていました。
確かに、かつて「フェミニストの旗手」として、尖(とが)った論陣を勇ましく張っていた人と同一人物とは思えないほど、静かな気品に満ちた姿にも驚きました。しかしそれだけに、見えない真剣の切っ先を、聞く者の喉元(のどもと)に突きつけているような迫力もありました。この祝辞のダイジェストをP3~4にも載せたのでぜひご一読ください。東大生に限らず、未来へ向かおうとするすべての人々への応援の祝辞です。これは。
東大も性差別を行っていることを東大の入学式で語るということで、まず自己批判をすることから建設的議論が始まることを示してくれました。そして学生たちに「(大学合格は)あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」と釘(くぎ)を刺します。周りの人々の応援があってこそのことで、努力が報(むく)われない人たちは、その個人が悪いのではないということ。報われた人はまず感謝すべきだということです。次に「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください」と諭(さと)します。「強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生き」るべきだからです。究極的に目指すべきこととして以下のように述べます。「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」。これは「男女の差別の解消」というレベルにとどまるものではありません。『老子』の「堅強(けんきょう)なる者は死の徒にして、柔弱(じゅうじゃく)なるものは生の徒なり」という、「柔弱(にゅうじゃく)」であることの価値論にも通じます。つまり、弱いものを排除せずにまあ共存するのを認めてやろう、という上から目線ではなく、強大さを誇ろうとするものほど馬鹿(ばか)丸出(まるだ)しの下等生物、と喝破(かっぱ)しているわけです。自分の卑小(ひしょう)さを認識し、未来という広大無辺の海へと乗り出していってほしい。それは「正解のない問いに満ちた世界」であり、そうした世界を生き抜くためには「すでにある知」に頼らず「これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けること」が大事なのです。反省し、感謝し、驕(おご)らず謙虚(けんきょ)に、そして大胆(だいたん)に、共に生きましょう!
【上野千鶴子氏の東大入学式祝辞ダイジェスト版】
ご入学おめでとうございます。あなたたちは激烈な競争を勝ち抜いてこの場に来ることができました。
その選抜試験が公正なものであることをあなたたちは疑っておられないと思います。が、しかし、昨年、東京医科大不正入試問題が発覚し、女子学生と浪人生に差別があることが判明しました。
女子学生が男子学生より合格しにくいのは、男子受験生の成績の方がよいからでしょうか?
各種のデータが、女子受験生の偏差値の方が男子受験生より高いことを証明しています。(なのに男子合格者のほうが多い要因として)女子学生は浪人を避けるために余裕を持って受験先を決める傾向があります。(また)「息子は大学まで、娘は短大まで」でよいと考える親の性差別の結果です。
最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspiration(アスピレイション)のcooling(クーリンング) down(ダウン)すなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊(き)かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。
これまであなたたちが過ごしてきた学校は、タテマエ平等の社会でした。偏差値競争に男女別はありません。ですが、大学に入る時点ですでに隠れた性差別が始まっています。社会に出れば、もっとあからさまな性差別が横行しています。東京大学もまた、残念ながらその例のひとつです。
4半世紀前、私が東京大学に赴任したとき、私は文学部で3人目の女性教員でした。そして女性学を教壇で教える立場に立ちました。女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。どうして男は仕事で女は家事、って決まっているの?主婦ってなあに、何する人?日本の歴史に同性愛者はいたの?誰も調べたことがなかったから、先行研究というものがありません。ですから何をやってもその分野のパイオニア、第1人者になれたのです。今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。
言っておきますが、東京大学は変化と多様性に拓(ひら)かれた大学です。わたしのような者を採用し、この場に立たせたことがその証(あかし)です。東大には、在日韓国人教授、姜(かん)尚中(さんじゅ)さんも、高卒の教授、安藤忠雄さんもいました。また盲(もう)聾(ろう)二重の障害者である教授、福島(ふくしま)智(さとし)さんもいらっしゃいます。
あなたたちはがんばれば報(むく)われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。
そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひとたちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶(おとし)めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。
フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。
あなた方を待ち受けているのは、これまでのセオリーが当てはまらない、予測不可能な未知の世界です。これまであなた方は正解のある知を求めてきました。これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。学内に多様性がなぜ必要かと言えば、新しい価値とはシステムとシステムのあいだ、異文化が摩擦するところに生まれるからです。学内にとどまる必要はありません。東大には海外留学や国際交流、国内の地域課題の解決に関わる活動をサポートする仕組みもあります。未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。あなた方には、東大ブランドがまったく通用しない世界でも、どんな環境でも、どんな世界でも、たとえ難民になってでも、生きていける知を身につけてもらいたい。
大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。
知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。ようこそ、東京大学へ。
平成31年4月12日
認定NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク理事長
上野 千鶴子
(祝辞の全文は以下のURLを参照、もしくは「上野千鶴子 東大祝辞」で検索してください)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html