天網恢恢、疎にして失せず

(老子道徳経 下編徳経7)
敢えてするに勇なれば、則ち殺、
敢えてせざるに勇なれば、則ち活。
此の両者、或いは利あり、或いは害あり。
天の悪(にく)む所、孰(たれ)か其の故を知らん。
天の道は、争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、招かずして自ずから来たし、?然(せんぜん)として善く謀る。天網恢恢(てんもうかいかい)、疎(そ)にして失せず。

【大体の意味内容】
勇敢に立ち向かえば、直ちに滅ぼされることもあるし、
勇敢に逃げれば、助かった命を何かに活かすこともできる。

とはいえ、リスクはあっても立ち向かうことに利がある場合もあるし、助かって使命を全うしても、誰かにとっては有害な影響を及ぼされることあろう。

どちらにおいても、利害はそれぞれあって、天が何を憎むかは、我々には諮(はか)り知ることはできない。

「天の道」というべき無為自然(ぶいじねん)の道理は利害を超えている。
争うことなくしてよく勝つこと。
つべこべ言わずとも、よく人々の期待に応える。
招かずとも、人が寄り来たる。
悠然と構えながらも、緻密(ちみつ)な計略を立てている。

このためには、ことさらに功績をひけらかそうとはせず、
無為自然(ぶいじねん)に事は成るのだとわきまえ、そのように努力するものだ。

この世に張り巡らされた天道の網は、広大無辺、おおらかにして、しかも水も漏らさない。

【お話】
勇敢とは「敢(あ)えて勇(いさ)む」と訓(よ)みます。
突き進むにせよ後退するにせよ、ことさらに意思を働かせて行う人為(じんい)には、
必ずプラス面もあれば、マイナス面も伴う。

極力人為を排して、天即ち宇宙の摂理(せつり)に従うことが、絶対的な価値にたどり着けることになる。

そうしたことは実は、はるかかなたの、手の届かない高根の花であるのではなく、日常(にちじょう)卑近(ひきん)のところに遍在(へんざい)しているのだということなのでしょう。

コンビニでたまたま「三鷹の森ジブリ美術館」のリーフレットを見ました。
そのキャッチフレーズに惹(ひ)かれて、思わず一部もらって来ました。

「迷子になろうよ、いっしょに。」

さすがだなあ、と思いました。
森や山に入って方向とか目的地がわからなくなったり、旅先でも道に迷ったり、或いはどちらに行こうか選択に迷ったり、そうした非日常的なことや、
日常卑近の生活の中でもあれこれ迷ったりするのが、生きている醍醐味(だいごみ)なのでしょう。

少なくとも、「迷う」のは悪いことばかりではありません。

真摯(しんし)に努力しているからこそ、大いに迷うこともありますね。

自分の意思や判断では決められなくなってしまう状況。

何か自分ではないものに翻弄(ほんろう)されているような、世界そのものが遊働(ゆうどう)してどこかへ流されているような感覚。

それは案外、「天の道」が働きかけてくれている状況なのかもしれません。

逆らわずに流されてみるのも一興でしょう。

かえって勇気がいりますが…