心の持やうは

(『五輪書』水の巻 兵法心持の事)

心の持やうは、兵法の時にも常の心に替(かわ)る事なかれ。

心のうち濁らず、広く直くして、
きつくひかず、少もたるまず、
かたよらぬやうに、まん中に置きて、
静かにゆるがせ、ゆるぎやまぬやうに、
能々吟味すべし。

静なる時も心は静かならず、
何とはやき時も心は少もはやからず、

心は体につれず、
体は心につれず、

上の心はよはくとも、
底の心を強く、

我が身のひいきをせざるやうに心を持つ事肝要也(かんようなり)。

【大体の意味内容】
心の持ち方は、たとえ戦闘の場においても平常の際と替わってはならない。

心のうちはいつも澄んでいて濁らず、
精神を広やかに、それでいてまっすぐに伸びてゆくイメージを持つ事。

むやみに緊張せず、それでいてたるむことなく、

体のどこかに偏ることなく、ど真ん中の宙空に、座っているような感覚。

座っているが静かにゆるがせて、一瞬も揺るぎやまず、
いざというときには即座に動き対応できる中立(ニュートラル)な状態であること、よく吟味すべきである。

座禅の時のように全身が静止していても、心は戦氣に満ちており、

体が激しく躍動しているときも心は水を打ったように静かであること。

心は体の調子に乗らず、体が心に動揺させられぬようにせよ。

うわべの心は弱くてもかまわない、根本においてどっしりと、ぶれない精神を堅持すること。

我が身を愛(いと)しんで護ろうなどとはせず、
我が身を棄(す)てる覚悟を持つ事が、肝要(かんよう)である。

【お話】
学生時代に、つまらないことでくよくよ悩んで、頭に十円玉ほどのハゲを七か所くらい作ってしまったことがありました。
その時に恩師からこうアドバイスされました。

「一日に二回死になさい。

一回目は風呂に入っているとき。
全身脱力(だつりょく)して宙(ちゅう)空(そら)を浮遊(ふゆう)するイメージを持つこと。

二回目は眠る時。
そのまま死んで、どこまでも深く、闇(やみ)と一体になってしまうこと。

お前の精神の水が淀(よど)んで濁(にご)ってしまい、その水底(みなそこ)で様々な濁(にご)りから発生したガスが浮かび上がってきて、表面で破裂してしまったのだ。

だから精神の水が澄(す)んで水底(みなそこ)まで見えるようにすればいい」と。

早速実践して、本当に間もなく、七つの円形脱毛症がすべて治(なお)ってしまいました。
病(やまい)は気(き)からといいますが、まさにその通りなのだなと実感しました。

武蔵の書で「戦氣(せんき)」という、それは見事なものがあります(図版参照)。
この二文字の下にはこう書かれています。

「寒流(かんりゅう) 月(つき)帯(お)びて澄(す)めること 鏡(かがみ)の如(ごと)し」

力強く滝が落ちてゆくような「戦氣」の奥底には、何事にも動じない静けさが湛(たた)えられているのです。