谷神は死せず

(老子道徳経 上編道経6)

谷神(こくしん)は死せず、是れを玄牝(げんぴんん)と謂(い)う。
玄牝の門、是れを天地の根(こん)と謂う。
緜緜(めんめん)として存するが若(ごと)く、これを用いて勤(つき)きず。

【大体の意味内容】
太母神(グレートマザー)は譬(たと)えて言えば、山の奥深くの谷からこんこんと湧き出る泉が永遠に尽きることがない、不死なる存在である。

これを玄牝(げんぴん)―神秘神聖なる雌(めす)―という。

玄牝があらゆるものを発生させる門、これを天と地の根源という。

連綿と際限ない広がりと奥行きをもって存在し、豊饒(ほうじょう)の海のごとく万物を産み続けて、
尽きることがない。

【お話】
日本人には、山を「死と再生の母胎(ぼたい)」とする意識があります。
また「海」という漢字の中に「母」が含まれているように、海もまた、その彼方(かなた)へ死んだ者が還(かえ)ってゆき、そして新たな生命がやってくる母なる存在です。

「海」とは「産み」のことに違いありません。

海のかなたを「沖(おき)」といい、山の深いところを「奥(おく)」といいます。「おき」も「おく」も同じことなのでしょう。

私たちの祖先は、この世の大地自然に様々な生命の輝きや、母性、父性などを見つけ、そうした働きを「カミ」と呼んできました。あちらこちらにいろんな神社があるのがその証拠です。

いろんな自然の力が、わたしたちにとっての「カミ」なのです。
特に「母」を連想させるような、「産み」や「はぐくみ」の働きにこそ、より偉大さを感じます。

このような、べつに誰かに教わったわけでもないのに、大昔から今現在に至るまで、人々の間でまるで遺伝しているかのように同じように感じたり、知ってしまったりしてきた心の働きを、

「心意(しんい)伝承(でんしょう)」

といいます。

ですが、今、こうした心意伝承が正常に作動していない事件があまりにも多く発生しています。
実の親が自分の子を虐待(ぎゃくたい)したり殺したり見殺しにしたりする… 

このような事件に触れるたびに、私たちの社会そのものの息の根が止まりそうな、苦しみを感じませんか。私たち全員の命を代表するような、生命(ライフ・)指標(インデックス)が危機にさらされている、

しかも、「私」は直接の加害者ではないのですが、でも「加害者」につながった存在のひとりに過ぎないのではないか、そんな恐怖感に襲われませんか。

つらいですが、これを、歯を食いしばって認識しなければならないと思います。
加害者だけが悪くて、彼らを厳罰に処すればすむ問題ではありません。私たち本来の「心意伝承」が見失われつつある、これを取り戻さなければならないのでしょう。