家 家にあらず。 続くを以て家とす。
人 人にあらず。 知るを以て人とす。
(世阿弥『花伝書』別紙口伝九)
【大体の意味内容】
家というものは、建物や家族がいさえすれば家ということではない。
我が能藝の極意については一代一人に伝える大事であって、たとえ血のつながった我が子であっても、努力せず不勉強で本当の理解力・認識力を持たない者へは伝えてはいけない。
だから最重要のことは紙に書き残さず、真に理解できる者にだけ、口伝えで教える。
紙に残すと、努力しない者がそれを読んでしまった場合、大して理解していないのに分かった気になってしまうからだ。
それが家の堕落の原因となる。
極意を伝える相手が、血のつながらない赤の他人であってもかまわない。
家とは、そうやって本物の本質が伝わり続けることを以て、家とするべきなのだ。
血のつながりが重要なのではない。
人は、年を取ればだれでも成人というわけではない。
志を抱いて妥協せず努力し、学べば学ぶほど、知れば知るほど、
自分の前には未知の大海が無限に広がっていることを知る。
そうした「無知の知」の境地に達して、初めて人と成ることができる。
【お話】
「スマホやゲームばかりしていると脳みそが変形してしまう」という研究結果も出ています。
大して考えもせずにいろんなことができる気になってしまうし、電磁波に妙な刺激を受けて夜の睡眠に障害が起きたり、脳への悪影響がたくさん指摘されています。
動画ばかりで楽に情報を頭に入れることに慣れてしまうと、マンガを読むこともできなくなるようです。
当然読書をしても何もイメージがわかない。
いまを生きる私たちの脳は、大変なピンチにさらされています。
『1984年』という小説など、権力者に支配管理される社会を指摘した本たちは、
そうやって娯楽を与えられどんどん脳が退化していく大衆が、
家畜の様に権力者に支配される様子に警告を発しています。
一見、生活の保障さえされれば、家畜の様に安定的に生かされる方が幸せでしょうか。
「特に不自由なく生きられるのだからそれでいい」
という人も大変多いです。
たまたま生まれてから死ぬまでそれで不幸になったことはない、
という人も少なくはないから、それでよいという意見もあるでしょう。
ただ、何か取り返しのつかない危険を増大させ続けている気がします。
私は、君たちと、「人に成る」道を歩みたいと願っています。