ダンデリオン1期生の受験生たちも、「全員第一志望合格」にはあと一歩届きませんでしたが、
それぞれ新しいステージを得て旅立ってゆきます。
そこでまた様々な出会いや別れもあるでしょうが、
どんなことからも学び取るべきこと、糧(かて)とすべきことはありますから、
自身の生まれ変わりのきっかけとしてほしいと思います。
私自身はごく平均的で平凡な高校に入ったのですが、
2年生の時に校内暴力事件が起こり、主犯格の生徒たちの処分を巡(めぐ)って県教委と現場教師とが対立相克(そうこく)、板挟みにあった校長が自殺するという事件がありました。
全国に衝撃が走りテレビや新聞などで「荒廃の学園」などと騒がれました。
生徒と教師の関係のあり方とか
指導・運営の仕方の立て直しなどが、
生徒・教師双方で活発に議論されましたが、
私はひたすら、
人間の生命力(ヴァイタリティ)の燃焼の仕方、輝き方について考えていました。
暴走暴発とは違った、感動的な燃焼の仕方について。
大学は、父の勧めの法学部はやめて、「全人教育論」で著名だった玉川大学の文学部教育学科に進みました。
そこで「心意伝承論」を基層教育学として研究する上原輝男博士と邂逅います。
私たち社会集団の共同心意は時代を超えて無意識に遺伝する。
例えば自殺する人たちがなぜか、履物(はきもの)をそろえて残すという一種の作法は、
誰に教わったわけでもないのに大昔から行われている心意伝承です。
私たちの、虚飾のない偽らざる共同心意が真に求めてしまっていることは何か?
それを解き明かしてゆくことで本当の教育目標が見つかるのではないか?
そうしたことを、私も博士と一緒に追究しました。
博士の研究を生かした弟子のひとり、金城哲夫が、特撮のメッカ円谷プロダクションで「ウルトラマン」を創りだして全日本人の心をつかんだり、
博士から子どもとの深い交流を勧められた黒柳徹子が後年、ユニセフ親善大使となって世界中の子どもたちと魂のコミュニケーションを取ったり、
思わぬ副産物もありました。
原爆の広島で野晒しになったり、肺癌から生還したりもし、
古稀を越えてなお裂帛(れっぱく)の気合で論陣を張る博士が、急に召し上げられたのは平成8年4月11日。
満開の桜が一片(ひとひら)またひとひらと、風に戯れる朝でした。
それから22年目のご命日に、私も一冊の小著を出版します。
博士の学恩を、子どもたち、また未生(みしょう)の生命たちへと恩送りするミッション(使命)として…