【論語 顔淵第十二 一〇】
子張 徳を崇(たか)くし惑(まどい)を辨(わきま)えんことを問う。子曰く、忠信を主とし、義に徙(うつ)るは、徳を崇(たか)くするなり。之(これ)を愛しては其の生きんことを欲し、之を憎みてはその死なんことを欲するは、是(こ)れ惑(まどい)なりと。
【大体の意味内容】
子張が「徳を崇くし、惑いを辨える」ということわざの意味を質問した。
先生はおっしゃった。
「自分の心を根底から充実させ、自分の言葉と本心とが一致するという『忠信』を精神の主軸とすること。
そうして、神々への祈りを込めた舞を舞うような『正義』を行えば、
『徳』つまり、万物を生長させる自然の力・心の働きが崇高なものとなる。
これに反するのは次のような者だ。
ある人を愛しては、長く生きることを望み、憎んだとたんに早く死ねと望むような者。
そのような者は、『徳』ではなく、『惑い』の渦に呑みこまれて暴走暴発し、身を滅ぼしてしまうのである。」
【お話】
オリンピック二連覇の羽生結弦選手の演技が、一つのスポーツといった枠組みを超えた神憑り的なオーラを発しているのはよく指摘されています。
彼は東日本大震災で辛くも生き延びました。
その後は多くの死者たち、また無限に生まれてくる生命たちのための禱(いの)りの舞(まい)に生きようと覚悟したそうで、
そこからあの怨念(おんねん)にも似たオーラが出てくるのでしょう。
彼が採用している『晴明』という映画音楽は、日本最高の呪術師・陰陽師である「安倍晴明」の呪力を表現したものです。
羽生選手自身、晴明の狩衣装束をイメージしたコスチュームを身にまとい、
万物すべての生命たちのための禱りを込めて舞っている、というわけです。
金メダルを決めたフリーの演技は、怪我のブランクによる影響もあって技術的には満点というわけではないのでしょうが、
体力が切れた後半にこそ鬼気(きき)迫る、
怒(いか)りのような雄(お)たけびの様な狂い舞を見せ、
見る者を圧倒し、
八百萬(やおよろずの)の生命の泥濘(ぬかるみ)に、
私たちを引きずり込みました。
畏(おそ)るべき仁徳を発動した瞬間でした。