知者は楽しみ、仁者は寿し

子(し)曰(いわ)く、之(これ)を知(し)る者(もの)は、之(これ)を好(この)む者(もの)に如(し)かず。之(これ)を好(この)む者(もの)は、之(これ)を楽(たの)しむ者(もの)に如(し)かず。
知者(ちしゃ)は水(みず)を楽(たの)しみ、仁者(じんしゃ)は山(やま)を楽(たの)しむ。知者(ちしゃ)は動(うご)き、仁者(じんしゃ)は静(しず)かなり。知者(ちしゃ)は楽(たの)しみ、仁者(じんしゃ)は寿(いのちなが)し。

【大体(だいたい)の意味(いみ)内容(ないよう)】
先生(せんせい)はおっしゃった。
「学習(がくしゅう)して様々(さまざま)なことを知(し)る人(ひと)は、学習(がくしゅう)することが好(す)きだという人(ひと)にはかなわない。学習(がくしゅう)することが好(す)きだという人(ひと)は、それが楽(たの)しくてしょうがないという人(ひと)にはかなわない。学(まな)んだり研究(けんきゅう)したりして今(いま)まで知(し)らなかったことを発見(はっけん)したり、今(いま)までの思(おも)い込(こ)みがぶっこわされて新(あたら)しい世界(せかい)が開(ひら)けることを楽(たの)しむ人(ひと)が、最高(さいこう)の学修者(がくしゅうしゃ)なのである。
知者(ちしゃ)は、状況(じょうきょう)に応(おう)じてどのようにでも姿形(すがたかたち)を変(か)えられる水(みず)のような生(い)き方(かた)を楽(たの)しみ、仁者(じんしゃ)はどっしりと落(お)ち着(つ)いて、どのような天変(てんぺん)地異(ちい)が起(お)きても動揺(どうよう)することがない山(やま)のようなありかたを楽(たの)しむ。知者(ちしゃ)はダイナミックに活動(かつどう)し、仁者(じんしゃ)は様々(さまざま)なことに煩(わずら)わされることなく安静(あんせい)に落(お)ち着(つ)いている。知者(ちしゃ)は様々(さまざま)なことを楽(たの)しみ、いつでも心(こころ)が快活(かいかつ)であり、仁者(じんしゃ)は寿命(じゅみょう)が長(なが)い。」

「知者」とは「知識のある人」ですが、それは今現在の思い込みを頑固に信じ続けて、新しい見方考え方によって今の考え方が壊されるのを恐れたり、拒否したりするような人ではありません。
むしろ頭の中に築きあげたものが、さらに素晴らしいものによってぶっ壊され、作り直しすることが楽しくてしょうがないような人です。
「いままでの自分をすべて否定するみたいでいやだ」とか、「自分がなくなりそうで怖い」などという人が多いのですが、くだらないことです。
そのくらいのことでなくなってしまう「自分」ならば、ほんとうになくなってしまえばいい。
人間のすごさは、そんなことでは決してなくなったり壊れたりはしないことです。
むしろ、それまでの経験も生かしてさらにパワーアップしてゆくことができるのが本当のところです。
「知者」はそれが楽しくてしょうがないのです。
「仁」は深い慈しみや思いやりの心です。誰にでもありますが、これに徹することほど困難なことはありません。あまりにも仁徳の強い人ほど、騙されやすく、軽蔑され、いじめられ、悪用され、貶められ、ほとんど評価されない。それでも仁徳に徹することのできる人は、まさに不動の山の如き存在です。