『すべてを糧にして生きる努力の天才』であれ!

HPやパンフに私の経歴を、というご要望が複数件出ていましたので、ひとまずこちらで。

小中学校通じて成績は常に学年でビリでした。
全くとりえのない日陰者でしたが中学でスポーツに打ち込むようにはなりました。

駅伝が終わって中3の11月から体力任せの受験勉強、
偏差値20アップしましたが、
大事を取って中堅の県立高校へ進学。
読書の面白さに気づき始める。

2年時に校内暴力事件が起こり、校長先生が自殺するという展開となり全国に報道され、
教育について考え始めました。

卒業後は、『全人教育論』を提唱していた玉川大学に進学。
そこで生涯の恩師上原輝男先生に出会い、『心意伝承』研究のとりこになる。

大学院にも進学し、修士号取得。
大阪大学人間科学部の研究生を経て、埼玉県狭山市の学習塾に就職。小中学生とともに学習し始めました。

『心意伝承』研究は学界では異端の学としていまだに日の目を見ませんが、
恩師とともに研鑽(けんさん)を積み、共著『いのちの教育を再び~基層教育学試論集~』(明治図書)を出版。

この間、その恩師上原輝男博士が急逝し、学習塾の仕事が生活の中心になりました。

30代で城南予備校に移り、東京、神奈川で中・高・高卒生への指導。国語・現代文中心。
個別指導コースも開設し、藤沢校の教室長に。

東京大学に進学する生徒もいれば、私立中学でいじめにあい、不登校となったうえで学校から追放されてしまう生徒への対応や、リストカットを続ける生徒のケアにもあたるなど様々な出会いがありました。

いわゆる「モンスターピアレンツ」とも戦いましたっけ。

この間に恩師上原輝男博士の遺稿論文集『曽我の雨・牛若の衣裳―心意伝承の残像―』(暮らしの手帖社)編集出版。解説等執筆。

これが、『五重塔はなぜ倒れないか』などで著名な上田篤先生(中2の国語教科書に載っています)の目に留まり、交流が始まりました。
上田先生の推薦で、老舗雑誌『國文學』に連載開始。
『心意伝承―遊働世界に生きるー』を約2年間にわたって連載させていただきました。とても楽しい経験でした。

40代後半で学凛社ファインズグループに移り小中学生への指導。
武蔵小杉スクール校長になる際に全国に先駆けて「集団型個別指導」コースを創設し、授業のICT化もいち早く推進、小中学生に総合的に指導しはじめます。
このスタイルは瞬く間に全国に広がりました。

平成29年3月。埼玉県川口市東本郷にて「学修塾ダンデリオン」開校。
人間遊働(じんかんゆうどう)の原点にかえり、
「すべてを糧にして生きる」「努力の天才」を育てたいと考えています。