赤の他人はなかりけり

ロシア人画家のレオニート・チシコフ氏の言葉がNHKで紹介されていました。

花の陰 赤の他人は なかりけり  小林一茶

「やがて開花する桜が、私たちに平和をもたらしてくれることを、私は痛む胸で心から願っています。」

瀬戸内国際芸術祭2022に出品中の作品に添えられたメッセージだそうです。
氏は日本文化にも造詣が深いとのこと。一茶のこの句は知りませんでした。教えられました。
「桜の花の美しさに惹(ひ)かれて、その花陰に集う人々は、同じセンスを共有できる間柄。決して無関係な分断された、他者ではない」と、一茶の真意は知らず、チシコフ氏はこうしたメッセージと受け止め、祈りを込めて発したことでしょう。

権力者(たち)が始めた残虐な武力攻撃・犯罪に関する責は彼らが負うべきであって、その権力者に支配されている一般民衆に罪はありません。
にもかかわらずその一般民衆のほうが憎悪の念にさらされ、直接の攻撃を受けたり排斥されたりする。もううんざりするほど繰り返されている光景です。

糾弾されるべき権力者に対するためには、むしろその一般民衆同士が花の陰に集い結束する方が、よほど惨劇を押しとどめる原動力となるはずでしょう。

「『ロシア』という国を悪者にするのは簡単である。けれど『その国の正義』が『ウクライナの正義』とぶつかり合っている(中略)。『悪』を存在させることで、私は安心してはいないだろうか…」
今月の東京大学入学式祝辞において、映画監督の河瀨直美氏が問いかけていました。

安易にロシア人全体を「悪」とし、安心して彼らを非難罵倒・排斥するのならば、私たちの中にもプーチンはいて、機能しているのかもしれません。

「私」の中にも闇の部分はあるし、邪(よこしま)なものが振舞おうとすることもあります。
それをコントロールしきるのも簡単なことではありません。
でもそんな「私」とこそ戦い続けるべきなのでしょう。
「あなた」や「かれら」を傷つけないためにも。

「分断して統治する」。
古今東西を問わず、権力者たちが厳守する行いです。

だからこそ「私」や「あなた」や「かれら」が、競い合い切磋琢磨しあうことがあっても決して憎みあわないことが、戦争で利益を得る権力者たちにとって、最も困ることなのです。